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カラカスの大学都市
カラカスの大学都市は、1945〜60年に、ベネズエラの建築家カルロス・ラウル・ビリャヌエバなどの前衛芸術家により設計・建設されたされた、ベネズエラの首都圏、リベルタドル市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市大学都市です。
20世紀前半のモダン主義を取り入れた近代建築の優れた例として2000年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
面積1.64k?の広大なキャンパスは、学部によりゾーンに分かれ、研究棟や校舎、寮など関連施設が機能的に配されています。
建築には鉄やコンクリートを用い、左右非対称や彫刻による装飾など、芸術的要素が加味されたほか、風通しを考える中庭を随所に設けるなど、熱帯の気候への配慮も窺えます。
主な建築物にアウラ・マグナ(講堂),オリンピック・スタジアムがあげまれます。
ベネズエラ中央大学の講堂アウラ・マグナには、アメリカの彫刻家であるアレキサンダー・カルダーの代表作である『雲』がおかれています。
その他、博物館、図書館、スタジアムなど多くの施設が、現代アートの彫刻、壁画で飾られ、美術館さながらの様相を呈しています。
※ベネズエラ Venezuela南アメリカの最北部に位置し、正式国名はベネズエラ・ボリバル共和国。
「ベネズエラ」の名は、スペインの征服者がマラカイボ湖の湖上生活者のようすから「小ベネツィア」と称したことに由来する。
ベネズエラの海岸線は2800kmあり、ベネズエラ湾やパリア湾にみられるように複雑にいりくんでいる。
低地や湿地帯の広がる西部をのぞけば、海岸は狭く急傾斜となっている。
72ある島のうちでは、マルガリータ島が最大の島。
カラカスの大学都市 Ciudad Universitaria de Caracas 所在国:ベネズエラ・ボリバル共和国 世界遺産登録年:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
カラカスの大学都市は、1945〜60年に、ベネズエラの建築家カルロス・ラウル・ビリャヌエバなどの前衛芸術家により設計・建設されたされた、ベネズエラの首都圏、リベルタドル市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市大学都市です。
20世紀前半のモダン主義を取り入れた近代建築の優れた例として2000年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
面積1.64k?の広大なキャンパスは、学部によりゾーンに分かれ、研究棟や校舎、寮など関連施設が機能的に配されています。
建築には鉄やコンクリートを用い、左右非対称や彫刻による装飾など、芸術的要素が加味されたほか、風通しを考える中庭を随所に設けるなど、熱帯の気候への配慮も窺えます。
主な建築物にアウラ・マグナ(講堂),オリンピック・スタジアムがあげまれます。
ベネズエラ中央大学の講堂アウラ・マグナには、アメリカの彫刻家であるアレキサンダー・カルダーの代表作である『雲』がおかれています。
その他、博物館、図書館、スタジアムなど多くの施設が、現代アートの彫刻、壁画で飾られ、美術館さながらの様相を呈しています。
※ベネズエラ Venezuela南アメリカの最北部に位置し、正式国名はベネズエラ・ボリバル共和国。
「ベネズエラ」の名は、スペインの征服者がマラカイボ湖の湖上生活者のようすから「小ベネツィア」と称したことに由来する。
ベネズエラの海岸線は2800kmあり、ベネズエラ湾やパリア湾にみられるように複雑にいりくんでいる。
低地や湿地帯の広がる西部をのぞけば、海岸は狭く急傾斜となっている。
72ある島のうちでは、マルガリータ島が最大の島。
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ロス・カティオス国立公園
ロス・カティオス国立公園は、コロンビア北西部チョコ県、パナマと国境を接する丘陵地、草原、森林を含む面積720k?の国立公園で、100万年前の間氷期に水没を免れた熱帯雨林を擁しています。
ロス・カティオス国立公園は、1974年に国立公園となり、1980年には保護区をより広く拡張し、隣接するパナマのダリエン国立公園と続いた、広大な保護区となっています。
アトラズ川とその支流流域に、熱帯雨林のジャングルが広ががっています。
変化にとんだ環境のために、この地域でしか見られない種が多数生息しています。
インコ、カワセミ、オオハシ、ハチドリ、ナマケモノ、ヤマアラシ、マントホエザル、アルマジロ、ジャガーやピューマなどの稀少動物や、約400種の鳥類や珍しい昆虫類が確認されています。
また水の吸収力をよくするため、根が板状になったカポックノキなど多種多様な植物が群生しており、なんと植物の25%はこの地方の固有種であるといいます。
100万年前の氷河期でも、熱帯雨林は消滅しないで生き残ったことで、太古の種が現存しています。
※固有種とは、世界中のごく一部、その国、あるいは地域にしか生息・生育・繁殖しない生物学上の種がある。
そのような生息範囲の狭いものを指して、その地域の固有種と呼ぶ。
特産種とも言う。
大陸などから隔絶されている島嶼などで多く見られる。
地域個体群の絶滅が、即座に、種そのものの絶滅につながるので、保護対象として重要である。
ロス・カティオス国立公園 Los Katios National Park 所在国:コロンビア共和国 世界遺産登録年:1994年 世界遺産の種類:自然遺産 |
ロス・カティオス国立公園は、コロンビア北西部チョコ県、パナマと国境を接する丘陵地、草原、森林を含む面積720k?の国立公園で、100万年前の間氷期に水没を免れた熱帯雨林を擁しています。
ロス・カティオス国立公園は、1974年に国立公園となり、1980年には保護区をより広く拡張し、隣接するパナマのダリエン国立公園と続いた、広大な保護区となっています。
アトラズ川とその支流流域に、熱帯雨林のジャングルが広ががっています。
変化にとんだ環境のために、この地域でしか見られない種が多数生息しています。
インコ、カワセミ、オオハシ、ハチドリ、ナマケモノ、ヤマアラシ、マントホエザル、アルマジロ、ジャガーやピューマなどの稀少動物や、約400種の鳥類や珍しい昆虫類が確認されています。
また水の吸収力をよくするため、根が板状になったカポックノキなど多種多様な植物が群生しており、なんと植物の25%はこの地方の固有種であるといいます。
100万年前の氷河期でも、熱帯雨林は消滅しないで生き残ったことで、太古の種が現存しています。
※固有種とは、世界中のごく一部、その国、あるいは地域にしか生息・生育・繁殖しない生物学上の種がある。
そのような生息範囲の狭いものを指して、その地域の固有種と呼ぶ。
特産種とも言う。
大陸などから隔絶されている島嶼などで多く見られる。
地域個体群の絶滅が、即座に、種そのものの絶滅につながるので、保護対象として重要である。
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マチュ・ピチュの歴史保護区
マチュ・ピチュは、ペルーにあるアンデス山中、標高2400mの峰の頂上部に位置するインカの都市遺跡です。
よく『インカの失われた都市』とか『空中の楼閣』と呼ばれています。
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)とは、現地語では《大いなる頂き》の意味です。
マチュ・ピチュは、インカ帝国時代の15世紀半ばに築かれ、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが1911年に発見するまで、3世紀以上その存在は忘れられていました。
そのため通路や水路が巡らされた住居跡、神殿、大広場、段々畑、墓地などがそのまま残されています。
遺跡の面積は約13Km2で、総数、約200戸の石の建物が残っています。
居住していたのは1500人程度であったとされています。
16世紀、現在のコロンビアからチリ中部まで支配したインカ帝国は、各地に都市を築きましたが、1533年に帝国を滅亡に追い込んだスペイン人により徹底的に破壊されたため、そのほとんどが往時の姿をとどめていません。
そのため、この遺跡はインカ時代の都市構造を知るうえで貴重なものと言えます。
この隔絶された地に、なぜあえて都市を築いたのでしょうか。
皇帝の別荘だったとする説やコカ栽培所とする説、宗教施設説など、さまざまな諸説がありますが、アンデス文明は文字をもたなかったため、その当時の歴史を紐解くことは困難を極め、マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていません。
また、この遺跡を囲むアンデスの山々は、熱帯山岳樹林帯の中央にあり、アンデスイワドリ、コンドルやネコ科のオセロットなどが棲息する豊かな自然の宝庫でもあります。
現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは、マチュ・ピチュは最初にクスコと同時(1983年)に指定されました。
マチュ・ピチュの歴史保護区 Historic Sanctuary of Machu Picchu 所在国:ペルー 世界遺産登録年:1983年 世界遺産の種類:文化遺産、自然遺産 |
マチュ・ピチュは、ペルーにあるアンデス山中、標高2400mの峰の頂上部に位置するインカの都市遺跡です。
よく『インカの失われた都市』とか『空中の楼閣』と呼ばれています。
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)とは、現地語では《大いなる頂き》の意味です。
マチュ・ピチュは、インカ帝国時代の15世紀半ばに築かれ、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが1911年に発見するまで、3世紀以上その存在は忘れられていました。
そのため通路や水路が巡らされた住居跡、神殿、大広場、段々畑、墓地などがそのまま残されています。
遺跡の面積は約13Km2で、総数、約200戸の石の建物が残っています。
居住していたのは1500人程度であったとされています。
16世紀、現在のコロンビアからチリ中部まで支配したインカ帝国は、各地に都市を築きましたが、1533年に帝国を滅亡に追い込んだスペイン人により徹底的に破壊されたため、そのほとんどが往時の姿をとどめていません。
そのため、この遺跡はインカ時代の都市構造を知るうえで貴重なものと言えます。
この隔絶された地に、なぜあえて都市を築いたのでしょうか。
皇帝の別荘だったとする説やコカ栽培所とする説、宗教施設説など、さまざまな諸説がありますが、アンデス文明は文字をもたなかったため、その当時の歴史を紐解くことは困難を極め、マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていません。
また、この遺跡を囲むアンデスの山々は、熱帯山岳樹林帯の中央にあり、アンデスイワドリ、コンドルやネコ科のオセロットなどが棲息する豊かな自然の宝庫でもあります。
現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは、マチュ・ピチュは最初にクスコと同時(1983年)に指定されました。