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聖地キャンディ
聖地キャンディ (Sacred City of Kandy)は、現在のスリランカ民主社会主義共和国にあります。
シンハラ朝最後の都キャンディ。
古都の優しい雰囲気とは別にこの町を特別にしているのは、仏陀の歯が安置されている仏歯寺の存在だ。
その歯は紀元前543年、仏陀が火葬されたときに持ち帰られたものだと云われている。
その後、スリランカの王位継承者たちは王を象徴する宝とするようになりました。
初めにアヌラーダプラに奉納され、遷都の度に移されるのですが、キャンディに仏歯が運ばれたのは1590年といわれています。
キャンディ王ウィマラ・ダルマ・スリヤ1世(King Dharma Suriya ?)が寺院を建立し、現在寺院に残っている部分は3世代後のナーランドラ・シンハ王(King Narendra Shinha)が増築したものです。
正面右手に建つ八角堂は王朝最後の王スリ・ヴィラクマ・ラジャシンハによって建てられたもので現在は図書館となっています。
聖地キャンディ 文化遺産 Sacred City of Kandy 所在国:スリランカ民主社会主義共和国 世界遺産登録: 1988年 種類:文化遺産 |
聖地キャンディ (Sacred City of Kandy)は、現在のスリランカ民主社会主義共和国にあります。
シンハラ朝最後の都キャンディ。
古都の優しい雰囲気とは別にこの町を特別にしているのは、仏陀の歯が安置されている仏歯寺の存在だ。
その歯は紀元前543年、仏陀が火葬されたときに持ち帰られたものだと云われている。
その後、スリランカの王位継承者たちは王を象徴する宝とするようになりました。
初めにアヌラーダプラに奉納され、遷都の度に移されるのですが、キャンディに仏歯が運ばれたのは1590年といわれています。
キャンディ王ウィマラ・ダルマ・スリヤ1世(King Dharma Suriya ?)が寺院を建立し、現在寺院に残っている部分は3世代後のナーランドラ・シンハ王(King Narendra Shinha)が増築したものです。
正面右手に建つ八角堂は王朝最後の王スリ・ヴィラクマ・ラジャシンハによって建てられたもので現在は図書館となっています。
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聖書時代の遺丘群−メギッド、ハツォール、ベエル・シェバ
聖書時代の遺丘群−メギッド、ハツォール、ベエル・シェバ (Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba)メギドは、イスラエル北部、エズレル平原の西端に位 置する遺跡丘(テル)。
新約聖書の黙示録に、最終戦争が行われる場所としてハルマゲドン(ヘブライ語でメギドの丘)として記述されています。
紀元前2000年代にはカナン人の都市として、また紀元前1000年ごろにはソロモン王の重要な都市としてメギドが登場します。
メギドのテルはイスラエルでも最大級で、聖書時代のテル(遺跡丘群)として、ハツォール、ベエル・シェバの遺跡とともに、2005年に世界文化遺産に登録された。
ハルマゲドン=ヨハネの黙示録(16:16)によると、善と悪の最終決戦がハルマゲドンで行われた後、神(とイエス)が降臨し、キリスト教の教えに忠実に生きてきた善人のみを救い出し、1000年続く王国(ミレニアムキングダム、千年王国)をつくりだす。
聖書時代の遺丘群−メギッド、ハツォール、ベエル・シェバ Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba 所在国:イスラエル 世界遺産登録: 2005年 種類:文化遺産 |
聖書時代の遺丘群−メギッド、ハツォール、ベエル・シェバ (Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba)メギドは、イスラエル北部、エズレル平原の西端に位 置する遺跡丘(テル)。
新約聖書の黙示録に、最終戦争が行われる場所としてハルマゲドン(ヘブライ語でメギドの丘)として記述されています。
紀元前2000年代にはカナン人の都市として、また紀元前1000年ごろにはソロモン王の重要な都市としてメギドが登場します。
メギドのテルはイスラエルでも最大級で、聖書時代のテル(遺跡丘群)として、ハツォール、ベエル・シェバの遺跡とともに、2005年に世界文化遺産に登録された。
ハルマゲドン=ヨハネの黙示録(16:16)によると、善と悪の最終決戦がハルマゲドンで行われた後、神(とイエス)が降臨し、キリスト教の教えに忠実に生きてきた善人のみを救い出し、1000年続く王国(ミレニアムキングダム、千年王国)をつくりだす。
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秦の始皇陵(チンシーホワンリン)
秦の始皇陵(チンシーホワンリン)Mausoleum of the First Qin Emporerは中国の陝西省出発見されました。
紀元前221年、秦によって統一された中国ですが、その第一代皇帝である始皇帝の墓が「秦の始皇帝陵」です。
周囲約6.2キロ、高さ76メートルと巨大な規模を誇る秦の始皇陵(チンシーホワンリン)は、始皇帝が38年の歳月と70万人の人々を動員し、生前に自分の墓を作らせたと言われています。
また、始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、兵馬俑坑があります。
1974年3月、干ばつに困った地元の農民が井戸を掘り始めたところ、2、3メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかり、調べたところ考古学者の鑑定で、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが発見されたのです。
この偶然の発見によって、地下に2000年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑が次々と姿を現したのでした。
秦の始皇陵(チンシーホワンリン) Mausoleum of the First Qin Emporer 所在国: 中華人民共和国 世界遺産登録: 1987年 種類:文化遺産 |
秦の始皇陵(チンシーホワンリン)Mausoleum of the First Qin Emporerは中国の陝西省出発見されました。
紀元前221年、秦によって統一された中国ですが、その第一代皇帝である始皇帝の墓が「秦の始皇帝陵」です。
周囲約6.2キロ、高さ76メートルと巨大な規模を誇る秦の始皇陵(チンシーホワンリン)は、始皇帝が38年の歳月と70万人の人々を動員し、生前に自分の墓を作らせたと言われています。
また、始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、兵馬俑坑があります。
1974年3月、干ばつに困った地元の農民が井戸を掘り始めたところ、2、3メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかり、調べたところ考古学者の鑑定で、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが発見されたのです。
この偶然の発見によって、地下に2000年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑が次々と姿を現したのでした。