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エルサレムの旧市街とその城壁群
エルサレムの旧市街とその城壁群は、東エルサレムに位置しています。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった世界三大宗教の聖地として知られています。
そのことから、古来より三千年もの間、争奪が繰り返され、そのたびに建造物の破壊と建築が行われました。
現在も宗教観を巡る民族間の争いがあり、遺産破壊の危険から危機遺産として登録されています。
ユダヤ教にとってのエルサレムとは、かつてユダ王国の首都であり、その象徴でもあったエルサレム神殿があった場所でした。
破壊を免れた神殿西側の壁は、ユダヤ人が祖国が無くなったことを嘆く様から、「嘆きの壁」と呼ばれるようになりました。
キリスト教にとってのエルサレムは、イエス・キリストが教示をし、十字架に処され、埋葬された後に復活したとされた場所です。
かのゴルゴタの丘には、327年にコンスタンティヌス帝の命で建造された聖墳墓教会が残されています。
イスラム教にとっては、エルサレムは、開祖ムハンマドが啓示のためにメッカのカアバ神殿からエルサレム神殿まで一夜のうちに旅したとされる場所であり、そこには、691年にウマイヤ朝カリフにより岩のドームが建てられました。
エルサレムは現在イスラエルの首都となっていますが(国際的には未承認)、当時、イスラエルは世界遺産条約に批准していなかったということがあり、「ヨルダンの申請物件」としてどこの国にも属していない世界遺産として扱われています。
もともとエルサレムは国連管理都市とされていましたが、中東戦争の結果、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンが領有していました。
その後、1967年の第三次中東戦争にてイスラエルが侵攻して以来、現在、エルサレム全体がイスラエルの支配下にあります。
なお、ヨルダンは1988年、エルサレムの領有権を放棄しています。
エルサレムの旧市街とその城壁群 Old City of Jerusalem and its Walls 所在国:ヨルダンによる推薦 世界遺産登録:1981年 種類:文化遺産、危機遺産 |
エルサレムの旧市街とその城壁群は、東エルサレムに位置しています。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった世界三大宗教の聖地として知られています。
そのことから、古来より三千年もの間、争奪が繰り返され、そのたびに建造物の破壊と建築が行われました。
現在も宗教観を巡る民族間の争いがあり、遺産破壊の危険から危機遺産として登録されています。
ユダヤ教にとってのエルサレムとは、かつてユダ王国の首都であり、その象徴でもあったエルサレム神殿があった場所でした。
破壊を免れた神殿西側の壁は、ユダヤ人が祖国が無くなったことを嘆く様から、「嘆きの壁」と呼ばれるようになりました。
キリスト教にとってのエルサレムは、イエス・キリストが教示をし、十字架に処され、埋葬された後に復活したとされた場所です。
かのゴルゴタの丘には、327年にコンスタンティヌス帝の命で建造された聖墳墓教会が残されています。
イスラム教にとっては、エルサレムは、開祖ムハンマドが啓示のためにメッカのカアバ神殿からエルサレム神殿まで一夜のうちに旅したとされる場所であり、そこには、691年にウマイヤ朝カリフにより岩のドームが建てられました。
エルサレムは現在イスラエルの首都となっていますが(国際的には未承認)、当時、イスラエルは世界遺産条約に批准していなかったということがあり、「ヨルダンの申請物件」としてどこの国にも属していない世界遺産として扱われています。
もともとエルサレムは国連管理都市とされていましたが、中東戦争の結果、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンが領有していました。
その後、1967年の第三次中東戦争にてイスラエルが侵攻して以来、現在、エルサレム全体がイスラエルの支配下にあります。
なお、ヨルダンは1988年、エルサレムの領有権を放棄しています。
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ウヴス・ヌール盆地
ウヴス・ヌール盆地は、モンゴルとロシア両国にまたがる、およそ100万ヘクタール以上にもおよぶ広大な盆地です。
割合としてはモンゴルが7割、ロシアが3割となっています。
特徴としては、世界で最も北に位置する砂漠と、世界で最も南に位置するツンドラがともにあるほか、氷河を含む高山地帯、ステップ、タイガといった自然環境を含んでいることで、中央アジアにおける生態系が一堂に会しています。
自然条件は過酷で、気温は夏は47度、冬は-58度と極端なことから、人口密度は高くありません。
そのこともあり、人間に荒らされることなく、美しい自然が残り、多くの野生動物が生息しています。
その中には、絶滅危惧種でもある、ユキヒョウ、ユーラシアヘラサギ、アイベックス、インドガン、オジロワシ、オオハクチョウなどがいます。
生息する植物も、ヒゲハリスゲ、ケカンバ、イソツツジなど環境の多様さを受けて、多種多様です。
ウヴス・ヌール盆地 Uvs Nuur Basin 所在国:ロシア、モンゴル 世界遺産登録:2003年 種類:自然遺産 |
ウヴス・ヌール盆地は、モンゴルとロシア両国にまたがる、およそ100万ヘクタール以上にもおよぶ広大な盆地です。
割合としてはモンゴルが7割、ロシアが3割となっています。
特徴としては、世界で最も北に位置する砂漠と、世界で最も南に位置するツンドラがともにあるほか、氷河を含む高山地帯、ステップ、タイガといった自然環境を含んでいることで、中央アジアにおける生態系が一堂に会しています。
自然条件は過酷で、気温は夏は47度、冬は-58度と極端なことから、人口密度は高くありません。
そのこともあり、人間に荒らされることなく、美しい自然が残り、多くの野生動物が生息しています。
その中には、絶滅危惧種でもある、ユキヒョウ、ユーラシアヘラサギ、アイベックス、インドガン、オジロワシ、オオハクチョウなどがいます。
生息する植物も、ヒゲハリスゲ、ケカンバ、イソツツジなど環境の多様さを受けて、多種多様です。
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イチャン・カラ
イチャン・カラは、ウズベキスタンの首都タシケントから西へおよそ750キロ、飛行機で約二時間の行程である、ヒヴァ(ホラズム州)にあります。
ヒヴァは古代よりカラクム砂漠への入り口にあるオアシス都市として繁栄してきました。
1643年にはヒバ・ハーンの首都となり、政治経済、そして宗教の中心地として発展しました。
その美しさは「中央アジアの真珠」と称されたほどでした。
ヒヴァには外城のデシャンカラと内城のイチャン・カラがあり、そのうちディチャンカラは一般民衆の居住域で、イチャンカラにはハーンの宮殿や、モスク、メドレサ、ミナレットが建てられました。
この旧市街イチャンカラが世界遺産の対象区域となっています。
なかでも見どころは、青と緑のタイルで飾られた、高さ45メートルにもおよぶイスラム・ホジャのミナレットです。
上まで登って、ヒヴァを上から見渡すことができます。
イチャン・カラ Itchan Kala 所在国:ウズベキスタン 世界遺産登録:1990年 種類:文化遺産 |
イチャン・カラは、ウズベキスタンの首都タシケントから西へおよそ750キロ、飛行機で約二時間の行程である、ヒヴァ(ホラズム州)にあります。
ヒヴァは古代よりカラクム砂漠への入り口にあるオアシス都市として繁栄してきました。
1643年にはヒバ・ハーンの首都となり、政治経済、そして宗教の中心地として発展しました。
その美しさは「中央アジアの真珠」と称されたほどでした。
ヒヴァには外城のデシャンカラと内城のイチャン・カラがあり、そのうちディチャンカラは一般民衆の居住域で、イチャンカラにはハーンの宮殿や、モスク、メドレサ、ミナレットが建てられました。
この旧市街イチャンカラが世界遺産の対象区域となっています。
なかでも見どころは、青と緑のタイルで飾られた、高さ45メートルにもおよぶイスラム・ホジャのミナレットです。
上まで登って、ヒヴァを上から見渡すことができます。