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キナバル自然公園
キナバル自然公園は、マレーシア領内ボルネオ島の北部、サバ州にあります。
東南アジア圏内では最高峰の標高である4,095メートルのキナバル山を擁すキナバル国立公園は、753平方キロメートルの広さを有します。
キナバルとは、マレー語で、中国の未亡人を意味し、地域には、中国の王子とその未亡人の伝説が残されています。
ただ、ほかにも、アキ・ナバル(祖先の霊る山)という言葉が時を経てキナバルになったという説もあります。
キナバル山があることによる自然条件の影響で、熱帯雨林から高山帯まで、幅広い動植物相をみることができます。
なかでも見ものは、ジャングルに原生する、世界最大の花とされるラフレシアや、食虫植物のウツボカズラです。
また、絶滅危惧種の動物も多く生息しています。
キナバル山を登山するにあたっては、入山届提出、そして入山料の支払いが必要で、またガイドを雇うことが義務化されています。
また、無事登頂ができた際には、下山時に公園事務所にて登頂認定書を有料で発行してもらえます。
公園近くにポ−リン温泉(Poring Hot Spring)がありますので、登山の疲れを温泉で癒すのもいいでしょう。
キナバル自然公園 Kinabalu Park 所在国:マレーシア 世界遺産登録:2000年 種類:自然遺産 |
キナバル自然公園は、マレーシア領内ボルネオ島の北部、サバ州にあります。
東南アジア圏内では最高峰の標高である4,095メートルのキナバル山を擁すキナバル国立公園は、753平方キロメートルの広さを有します。
キナバルとは、マレー語で、中国の未亡人を意味し、地域には、中国の王子とその未亡人の伝説が残されています。
ただ、ほかにも、アキ・ナバル(祖先の霊る山)という言葉が時を経てキナバルになったという説もあります。
キナバル山があることによる自然条件の影響で、熱帯雨林から高山帯まで、幅広い動植物相をみることができます。
なかでも見ものは、ジャングルに原生する、世界最大の花とされるラフレシアや、食虫植物のウツボカズラです。
また、絶滅危惧種の動物も多く生息しています。
キナバル山を登山するにあたっては、入山届提出、そして入山料の支払いが必要で、またガイドを雇うことが義務化されています。
また、無事登頂ができた際には、下山時に公園事務所にて登頂認定書を有料で発行してもらえます。
公園近くにポ−リン温泉(Poring Hot Spring)がありますので、登山の疲れを温泉で癒すのもいいでしょう。
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カルアト・アル-バフレーン (古代の港とディルムンの首都)
「カルアト・アル-バフレーン−古代の港とディルムンの首都」は、中東の国であるバーレーンにある世界遺産です。
マナーマ郊外のカルババードに位置するカルアト・アル-バフレーン自体は14世紀にこの地を支配していたアラブ人が築いた要塞の跡に、その後、支配したポルトガル人が1522年、新たに建設した要塞の遺跡です。
そのため、別名バーレーン要塞(バーレーンフォート)とも、ポルトガル要塞とも呼ばれます。
それだけならただの遺跡にすぎないのですが、この遺跡を発掘している際に、なんと紀元前三千年もの昔に栄えたディルムン文明があったことが判明したのです。
バーレーンは古代、ディルムンという名前であり、メソポタミア文明とインダス文明の二大文明をつなぐ重要な中継地として、豊富な湧き水によるオアシスとして、繁栄を遂げました。
かのギルガメッシュ叙事詩にも、「聖なる島」「不老不死の地」として記録されています。
つまりカルアト・アル-バフレーンには、4000年もの長きにわたって、幾層もの遺跡が形成されているのです。
まだ発掘は四分の一程度しか進んでいない状況ですが、しっかりと整備された道路、住居、公共施設、そして数千もの古墳が確認されています。
発掘が進むにつれまだまだ新しい研究結果が出てくることが期待されています
カルアト・アル-バフレーン (古代の港とディルムンの首都) Qal'at al-Bahrain ― Ancient Harbour and Capital of Dilmun 所在国:バーレーン 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
「カルアト・アル-バフレーン−古代の港とディルムンの首都」は、中東の国であるバーレーンにある世界遺産です。
マナーマ郊外のカルババードに位置するカルアト・アル-バフレーン自体は14世紀にこの地を支配していたアラブ人が築いた要塞の跡に、その後、支配したポルトガル人が1522年、新たに建設した要塞の遺跡です。
そのため、別名バーレーン要塞(バーレーンフォート)とも、ポルトガル要塞とも呼ばれます。
それだけならただの遺跡にすぎないのですが、この遺跡を発掘している際に、なんと紀元前三千年もの昔に栄えたディルムン文明があったことが判明したのです。
バーレーンは古代、ディルムンという名前であり、メソポタミア文明とインダス文明の二大文明をつなぐ重要な中継地として、豊富な湧き水によるオアシスとして、繁栄を遂げました。
かのギルガメッシュ叙事詩にも、「聖なる島」「不老不死の地」として記録されています。
つまりカルアト・アル-バフレーンには、4000年もの長きにわたって、幾層もの遺跡が形成されているのです。
まだ発掘は四分の一程度しか進んでいない状況ですが、しっかりと整備された道路、住居、公共施設、そして数千もの古墳が確認されています。
発掘が進むにつれまだまだ新しい研究結果が出てくることが期待されています
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オルホン渓谷文化的景観
オルホン渓谷は、モンゴルの首都ウランバートルを西に向かうことおよそ360キロ先に位置しています。
モンゴルの中央を流れるオルホン川の両岸にできた渓谷には、遠く昔の石器時代からモンゴル帝国まで2000年以上にもわたって、遊牧民が生活してきた証を現代に伝える歴史的文化財が多く遺されています。
このことが評価され世界遺産の文化遺産として登録されました。
オルホン渓谷に遺跡が集中しているのは、オルホン川のたまもので周辺が肥沃な土地であったことから、このステップ地域を巡る遊牧民国家はどこもオルホン渓谷を国の中心としたからです。
古代石器時代の遺跡としては、岩壁画が遺されています。
そして、突厥が支配した時の遺跡跡としては、オルホン渓谷に王者の証として、モニュメントである、オルホン碑文 (Orkhon script) を刻んだ石柱が遺されています。
8世紀にウイグルが支配した時の遺跡跡としては、カル・バルガス遺跡 (Ruins of Khar Balgas) という、ウイグル族のオルド・バリクの遺構が遺されており、宮殿や寺院などの跡をみることができます。
50km2 に宮殿、店、寺院などがあった。
モンゴル帝国の遺跡としては、有名なザナドゥの宮殿を含む、チンギス・ハーンの首都カラコルムの遺跡、そして、 モンゴルで初の仏教僧院であったエルデネ・ズウ僧院 (Erdene Zuu monastery)、 かつてオゴデイの居城と推定されているドイト丘陵 (Doit Hill)が挙げられます。
オルホン渓谷文化的景観 Orkhon Valley Cultural Landscape 所在国:モンゴル 世界遺産登録:2004年 種類:文化遺産 |
オルホン渓谷は、モンゴルの首都ウランバートルを西に向かうことおよそ360キロ先に位置しています。
モンゴルの中央を流れるオルホン川の両岸にできた渓谷には、遠く昔の石器時代からモンゴル帝国まで2000年以上にもわたって、遊牧民が生活してきた証を現代に伝える歴史的文化財が多く遺されています。
このことが評価され世界遺産の文化遺産として登録されました。
オルホン渓谷に遺跡が集中しているのは、オルホン川のたまもので周辺が肥沃な土地であったことから、このステップ地域を巡る遊牧民国家はどこもオルホン渓谷を国の中心としたからです。
古代石器時代の遺跡としては、岩壁画が遺されています。
そして、突厥が支配した時の遺跡跡としては、オルホン渓谷に王者の証として、モニュメントである、オルホン碑文 (Orkhon script) を刻んだ石柱が遺されています。
8世紀にウイグルが支配した時の遺跡跡としては、カル・バルガス遺跡 (Ruins of Khar Balgas) という、ウイグル族のオルド・バリクの遺構が遺されており、宮殿や寺院などの跡をみることができます。
50km2 に宮殿、店、寺院などがあった。
モンゴル帝国の遺跡としては、有名なザナドゥの宮殿を含む、チンギス・ハーンの首都カラコルムの遺跡、そして、 モンゴルで初の仏教僧院であったエルデネ・ズウ僧院 (Erdene Zuu monastery)、 かつてオゴデイの居城と推定されているドイト丘陵 (Doit Hill)が挙げられます。