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マナ・プールズ国立公園、サピとチュウォールのサファリ地域
マナ・プールズ国立公園、サピとチュウォールのサファリ地域は、ジンバウエの北部、マショナランド地方の標高1000m近いザンベジ高地のザンビア谷の一部にあります。
ザンベジ川の中流、大地機帯の断層が横切る堆積盆地周辺に広がる草原と森林地帯 約6千キロ平方メートルに、ゾウ、サバンナシマウマ、アフリカイギュウ、インパラなどの大型哺乳類・草食動物、川辺にはワニ、鳥類300種以上が生息しています。
ザンベイ川は定期的に氾濫し、雨季になるたびに一面が湖のようになる。
これを繰り返すため、肥沃な土壌を作り出し、多くの動物の生息に適した地域となっています。
ザンベジ川の岸辺は絶滅の危機に瀕したナイルワニの貴重な生息地です。
川に面している地域は、水量が豊富なこともあり、マホガニー、イチジク、エボニー、バオバブなどの森林が隣接していることは、草原地には珍しい光景といえます。
この地域は、肉食性哺乳類動物が少ないため、ガイド無しでサファリ観光をすることができます。
マナ・プールズ国立公園、サピとチュウォールのサファリ地域 Mana Pools National Park, Sapi and Chewore Safari Area 所在地:ジンバブエ共和国 世界遺産登録:1984年 種類:自然遺産 |
マナ・プールズ国立公園、サピとチュウォールのサファリ地域は、ジンバウエの北部、マショナランド地方の標高1000m近いザンベジ高地のザンビア谷の一部にあります。
ザンベジ川の中流、大地機帯の断層が横切る堆積盆地周辺に広がる草原と森林地帯 約6千キロ平方メートルに、ゾウ、サバンナシマウマ、アフリカイギュウ、インパラなどの大型哺乳類・草食動物、川辺にはワニ、鳥類300種以上が生息しています。
ザンベイ川は定期的に氾濫し、雨季になるたびに一面が湖のようになる。
これを繰り返すため、肥沃な土壌を作り出し、多くの動物の生息に適した地域となっています。
ザンベジ川の岸辺は絶滅の危機に瀕したナイルワニの貴重な生息地です。
川に面している地域は、水量が豊富なこともあり、マホガニー、イチジク、エボニー、バオバブなどの森林が隣接していることは、草原地には珍しい光景といえます。
この地域は、肉食性哺乳類動物が少ないため、ガイド無しでサファリ観光をすることができます。
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ベニ・ハンマド要塞
ベニ・ハンマド要塞は、アルジェリア中北部の高原地帯の山中にあります。
アルジェリアは、国土の大部分がサハラ砂漠であり、乾燥した平原地帯ですが、ベニ・ハンマド要塞は豊潤な土地を選んだようです。
紀元前には、フェニキア人が海岸部に移住し、内陸部にはベルベル人が生活していました。
紀元前5世紀になるとカルタゴの支配地域となり、ヌミディアと呼ばれていましたが、ローマ帝国が勢力を保っていた頃には、その支配下にされていました。
その後、6世紀後半にベニ・ハンマド要塞は、イスラム教徒が支配者ビザンチンを倒して作ったものです。
城壁で周囲を8キロぐるりと囲んまれていました。
11世紀には、キャラバン交易によって、商業、学問の中心として栄えた都市です。
12世紀には、ノルマン人に襲撃によって滅ぼされました。
現在では、エル・バハール宮殿やエル・メナット宮殿など遺構が残るだけになっています。
しかし、特徴的なミナレットがあるモスクは、アルジェリアで2番目の大きさを持ち保存されています。
ベニ・ハンマド要塞 Al Qal'a of Beni Hammad 所在地:アルジェリア民主人民共和国 世界遺産登録:1980年 種類:文化遺産 |
ベニ・ハンマド要塞は、アルジェリア中北部の高原地帯の山中にあります。
アルジェリアは、国土の大部分がサハラ砂漠であり、乾燥した平原地帯ですが、ベニ・ハンマド要塞は豊潤な土地を選んだようです。
紀元前には、フェニキア人が海岸部に移住し、内陸部にはベルベル人が生活していました。
紀元前5世紀になるとカルタゴの支配地域となり、ヌミディアと呼ばれていましたが、ローマ帝国が勢力を保っていた頃には、その支配下にされていました。
その後、6世紀後半にベニ・ハンマド要塞は、イスラム教徒が支配者ビザンチンを倒して作ったものです。
城壁で周囲を8キロぐるりと囲んまれていました。
11世紀には、キャラバン交易によって、商業、学問の中心として栄えた都市です。
12世紀には、ノルマン人に襲撃によって滅ぼされました。
現在では、エル・バハール宮殿やエル・メナット宮殿など遺構が残るだけになっています。
しかし、特徴的なミナレットがあるモスクは、アルジェリアで2番目の大きさを持ち保存されています。
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フェス旧市街
フェス旧市街(フェズの旧市街)は、モロッコ中北部、首都ラバトの東約180キロのところにある内陸都市です。
9世紀に、モロッコ最古のイスラム王朝を開いたイドリース朝の首都として建設されました。
市街地は、フェス川の左岸から発展して、モロッコ最古そして世界最古の大学カラウィーン・モスクなど建設されました。
13世紀半ばにマリーン朝の都になった頃からは、多くのマドラサ(学校)やモスク(イスラム教の礼拝堂)ができ、学問・文化・商業の中心として発展してきました。
城壁で囲まれ、なおかつ1200年以上も昔に造られた石畳は、世界一複雑な迷路都市で、絶えず侵略の危機にさられていた住民たちが、外敵を寄せ付けない工夫をした結果出来上がったものです。
旧市街にあるフェズ・エル・バリには、城壁に囲まれた巨大な迷路のスーク(市場)があります。
網の目のように細い路地に、街の人と商品であふれかえっています。
衣料品、布生地、糸、金属類、家具、香辛料、木の実などなど売っています。
特に香辛料は重要でアッタリーン・スークという香料専門の市場がありにぎわっています。
フェス旧市街 Media of Fes 所在地:モロッコ王国 世界遺産登録:1981年 種類:文化遺産 |
フェス旧市街(フェズの旧市街)は、モロッコ中北部、首都ラバトの東約180キロのところにある内陸都市です。
9世紀に、モロッコ最古のイスラム王朝を開いたイドリース朝の首都として建設されました。
市街地は、フェス川の左岸から発展して、モロッコ最古そして世界最古の大学カラウィーン・モスクなど建設されました。
13世紀半ばにマリーン朝の都になった頃からは、多くのマドラサ(学校)やモスク(イスラム教の礼拝堂)ができ、学問・文化・商業の中心として発展してきました。
城壁で囲まれ、なおかつ1200年以上も昔に造られた石畳は、世界一複雑な迷路都市で、絶えず侵略の危機にさられていた住民たちが、外敵を寄せ付けない工夫をした結果出来上がったものです。
旧市街にあるフェズ・エル・バリには、城壁に囲まれた巨大な迷路のスーク(市場)があります。
網の目のように細い路地に、街の人と商品であふれかえっています。
衣料品、布生地、糸、金属類、家具、香辛料、木の実などなど売っています。
特に香辛料は重要でアッタリーン・スークという香料専門の市場がありにぎわっています。