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カスビのブガンダ王国歴代国王の墓
カスビのブガンダ王国歴代国王の墓はウガンダ共和国の首都カンパラの北西約3キロメートルのカスビの丘の頂上にある旧宮殿を中心とする約30ヘクタールにある歴代国王の墓で、2001年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
19世紀半ばにブガンダ王国の王であったムテサ1世が1882年にカスビの丘に木、レンガ、ヨシ、編んだ木の枝やそれらの表面を塗布したりして造ったかやぶき屋根の宮殿を建造しました。
2年後の1884年にムテサ1世が亡くなったあとは、宮殿がそのまま墓となり、そしてムテサ1世の後を継いだムワンガ2世も20世紀初めに亡くなった後、この同じ墓に埋葬されました。
その後、ダウディ・クワ2世(1896年?1939年)も、その後を継いだブガンダ最後の王でウガンダ初代大統領ムテサ2世(1924年?1969年)も、死後はやはりこの同じ墓に埋葬され、また、歴代の王たちの縁者も周辺に葬られています。
これは初代キントゥ・カト以来、ブガンダ王国では一人の王に1つの墓が造られていたことからすると異例のことです。
現在4人の歴代ブガンダ王国の王たちの墓となっているこの建造物は建築様式や建築技術の集積という物理的な価値以外にも、信念、スピリチュアリティ、継続性、アイデンティティなどの無形の価値を持つものです。
カスビのブガンダ王国歴代国王の墓 Tombs of Buganda Kings at Kasubi 所在国:ウガンダ共和国 世界遺産登録年:2001年 世界遺産の種類:文化遺産 |
カスビのブガンダ王国歴代国王の墓はウガンダ共和国の首都カンパラの北西約3キロメートルのカスビの丘の頂上にある旧宮殿を中心とする約30ヘクタールにある歴代国王の墓で、2001年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
19世紀半ばにブガンダ王国の王であったムテサ1世が1882年にカスビの丘に木、レンガ、ヨシ、編んだ木の枝やそれらの表面を塗布したりして造ったかやぶき屋根の宮殿を建造しました。
2年後の1884年にムテサ1世が亡くなったあとは、宮殿がそのまま墓となり、そしてムテサ1世の後を継いだムワンガ2世も20世紀初めに亡くなった後、この同じ墓に埋葬されました。
その後、ダウディ・クワ2世(1896年?1939年)も、その後を継いだブガンダ最後の王でウガンダ初代大統領ムテサ2世(1924年?1969年)も、死後はやはりこの同じ墓に埋葬され、また、歴代の王たちの縁者も周辺に葬られています。
これは初代キントゥ・カト以来、ブガンダ王国では一人の王に1つの墓が造られていたことからすると異例のことです。
現在4人の歴代ブガンダ王国の王たちの墓となっているこの建造物は建築様式や建築技術の集積という物理的な価値以外にも、信念、スピリチュアリティ、継続性、アイデンティティなどの無形の価値を持つものです。
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エル・ジェムの円形闘技場
エル・ジェムの円形闘技場はチュニジア共和国のスースの南約60キロメートルのマハディア州にあり、ローマ帝国の属州として繁栄した3世紀に約10年の歳月をかけて造られたもので、円形闘技場の周囲は400メートル、長径が165メートル、短径118メートル、アリーナと呼ばれている中央の舞台の直径が65メートル、収容人員35,000人の3階建ての建造物で、1979年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
このエル・ジェムの円形闘技場はイタリアはローマ、ヴェローナに次ぐ3番目に大きな円形闘技場であり、保存状態は現存する円形闘技場の中で最も良いものと言われています。
エル・ジェム円形闘技場の特徴は建築当初から地下通路を造ることを計画してあったことです。
その地下通路の部分にはライオンなどの猛獣が檻ごとロープで引き揚げられる仕掛けになっていたおり、剣闘士が登場するゲートも設けられていて、猛獣と人がこの円形闘技場で戦ったり、人々が格闘をしていました。
このように凝った造りになっているエル・ジェム円形闘技場の建設資金は、当時栄えていたオリーブオイルの交易で得た資金で、エル・ジェムの貴族たちがその豊かさを誇示するためにローマに対抗してこの円形闘技場を造ったと言われています。
エル・ジェムの円形闘技場 Amphitheatre of El Jem 所在国:チュニジア共和国 世界遺産登録年:1979年 世界遺産の種類:文化遺産 |
エル・ジェムの円形闘技場はチュニジア共和国のスースの南約60キロメートルのマハディア州にあり、ローマ帝国の属州として繁栄した3世紀に約10年の歳月をかけて造られたもので、円形闘技場の周囲は400メートル、長径が165メートル、短径118メートル、アリーナと呼ばれている中央の舞台の直径が65メートル、収容人員35,000人の3階建ての建造物で、1979年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
このエル・ジェムの円形闘技場はイタリアはローマ、ヴェローナに次ぐ3番目に大きな円形闘技場であり、保存状態は現存する円形闘技場の中で最も良いものと言われています。
エル・ジェム円形闘技場の特徴は建築当初から地下通路を造ることを計画してあったことです。
その地下通路の部分にはライオンなどの猛獣が檻ごとロープで引き揚げられる仕掛けになっていたおり、剣闘士が登場するゲートも設けられていて、猛獣と人がこの円形闘技場で戦ったり、人々が格闘をしていました。
このように凝った造りになっているエル・ジェム円形闘技場の建設資金は、当時栄えていたオリーブオイルの交易で得た資金で、エル・ジェムの貴族たちがその豊かさを誇示するためにローマに対抗してこの円形闘技場を造ったと言われています。
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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群とはエジプト・アラブ共和国の南部のナイル川流域にある古代エジプト文明の遺跡で、1979年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
1960年代のアスワン・ハイ・ダム建設計画によって水没する危機に瀕した遺跡群のうち移築作業によって保全された一群の遺跡をアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群と呼んでいます。
この遺跡救済キャンペーンは、開発から歴史的な価値のある遺跡、建築物、自然などを国を超えた支援を行う組織運営によって守ろうという運動に広がり、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)として1972年にユネスコのパリ本部で成立することになりました。
すなわち世界遺産条約が成立するるきっかけとなったのがこのアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群です。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群で最も有名なものとしてアブ・シンベル神殿(ラムセス2世によって建造された神殿で高さ33m、幅33mで砂岩でできた岩山を掘り進めて造られた岩窟神殿)、フィラエ神殿(中心となるのがエジプトの女神イシスを祀るイシス神殿)、カラブシャ神殿などがあります。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae 所在国:エジプト・アラブ共和国 世界遺産登録年:1979年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群とはエジプト・アラブ共和国の南部のナイル川流域にある古代エジプト文明の遺跡で、1979年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
1960年代のアスワン・ハイ・ダム建設計画によって水没する危機に瀕した遺跡群のうち移築作業によって保全された一群の遺跡をアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群と呼んでいます。
この遺跡救済キャンペーンは、開発から歴史的な価値のある遺跡、建築物、自然などを国を超えた支援を行う組織運営によって守ろうという運動に広がり、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)として1972年にユネスコのパリ本部で成立することになりました。
すなわち世界遺産条約が成立するるきっかけとなったのがこのアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群です。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群で最も有名なものとしてアブ・シンベル神殿(ラムセス2世によって建造された神殿で高さ33m、幅33mで砂岩でできた岩山を掘り進めて造られた岩窟神殿)、フィラエ神殿(中心となるのがエジプトの女神イシスを祀るイシス神殿)、カラブシャ神殿などがあります。