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ジェームズ島と関連遺跡群
ジェームズ島と関連遺跡群は、1814年にフランスで奴隷貿易が廃止されるまで奴隷の積み出しに利用されていたジェームズ要塞がある小さな島・ジェームズ島を中心とした遺跡群で、ガンビア共和国の首都バンジュールの東南約35km、ガンビア川の上流から約30km離れた中流、ジュフレーの近くにあります。
ジェームズ三世にその名を由来するジェームズ島内のジェームズ要塞は、1651年にイギリスに捕獲されたドイツ人によりつくられました。
1816年に造られた首都バンジュール市内の六連砲台や1826年に建造されたバレン要塞などがあり、周辺農村であるサン・ドミンゴやアルブレダ、ジュフレーなどにもさまざまな廃墟や遺構があります。
ジェームズ島と関連遺跡群 James Island and Related Site 所在国:ガンビア共和国 世界遺産登録:2003年 種類:文化遺産 |
ジェームズ島と関連遺跡群は、1814年にフランスで奴隷貿易が廃止されるまで奴隷の積み出しに利用されていたジェームズ要塞がある小さな島・ジェームズ島を中心とした遺跡群で、ガンビア共和国の首都バンジュールの東南約35km、ガンビア川の上流から約30km離れた中流、ジュフレーの近くにあります。
ジェームズ三世にその名を由来するジェームズ島内のジェームズ要塞は、1651年にイギリスに捕獲されたドイツ人によりつくられました。
1816年に造られた首都バンジュール市内の六連砲台や1826年に建造されたバレン要塞などがあり、周辺農村であるサン・ドミンゴやアルブレダ、ジュフレーなどにもさまざまな廃墟や遺構があります。
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ゴレ島
ゴレ島とは、1814年にフランスで奴隷貿易が廃止されるまで利用されていた奴隷貿易中継の島で、島内には、奴隷にまつわるさまざまな施設が残されています。
狭く暗い奴隷収容所、奴隷売買が行われていた商館などです。
その一方で、セネガル最古のイスラム教の石のモスクや古典主義様式のカトリック聖堂なども残されています。
ポルトガル人がゴレ島にやってきた当初は、商業基地として繁栄しましたが、のちに西アフリカ地方などから集められた黒人奴隷やアラビアゴム、黄金、密猟などの交易を巡り、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルによる商権争いが繰り返され、ゴレ島の所有権は転々としていました。
ゴレ島は、『絶好の錨地(びょうち)』という意味を持ち、1777年頃に作られ、奴隷の積み出し場として利用された『奴隷の家』は、今では歴史博物館として一般公開されています。
ゴレ島は、南北の最長部分が900m、東西の最長部分が300mの小さな島で、セネガルの首都ダカールの沖合3kmの大西洋上にあります。
ゴレ島 Island of Goree 所在国:セネガル共和国 世界遺産登録:1978年 種類:文化遺産 |
ゴレ島とは、1814年にフランスで奴隷貿易が廃止されるまで利用されていた奴隷貿易中継の島で、島内には、奴隷にまつわるさまざまな施設が残されています。
狭く暗い奴隷収容所、奴隷売買が行われていた商館などです。
その一方で、セネガル最古のイスラム教の石のモスクや古典主義様式のカトリック聖堂なども残されています。
ポルトガル人がゴレ島にやってきた当初は、商業基地として繁栄しましたが、のちに西アフリカ地方などから集められた黒人奴隷やアラビアゴム、黄金、密猟などの交易を巡り、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルによる商権争いが繰り返され、ゴレ島の所有権は転々としていました。
ゴレ島は、『絶好の錨地(びょうち)』という意味を持ち、1777年頃に作られ、奴隷の積み出し場として利用された『奴隷の家』は、今では歴史博物館として一般公開されています。
ゴレ島は、南北の最長部分が900m、東西の最長部分が300mの小さな島で、セネガルの首都ダカールの沖合3kmの大西洋上にあります。
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ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、古代都市ナパタの遺跡で、ゲベル・バルカルには、13の寺院群、3つの神殿群の遺跡があります。
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、1820年代にヨーロッパの探検家に紹介されましたが、本格的な発掘は1916年からで、ジョージ・レイスナーがハーバード大学とボストン美術館の共同発掘隊のもとで調査にあたることで、始まりました。
古代都市ナパタは、カルツームの北400km、スーダン東部の町であるカリマの近くにあります。
ナイル川にある瀑布という大きな滝の中の第三瀑布と第四瀑布の間の川沿いに隔たった高さ98mの巨大な砂岩の山(ジャバル)の上にあります。
その理由として、エジプト人とクシ(のちのヌビア人)が、彼らの最高神・アモンは、90mの高山に棲むと考えられていたからです。
古代都市ナパタは、紀元前1450年頃、当時のエジプトのファラオ(皇帝)であるトトメス3世が征服したゲベル・バルカルを中心に作られた都市で、帝国の南限として繁栄しました。
ナパタは、のちにクシと呼ばれ、独立したヌビア王国となります。
クシ王国が撤退した後も、ナパタ地方は紀元前350年頃まで王室の住居として、宗教的な中心地として栄えました。
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群 Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region 所在国:スーダン共和国 世界遺産登録:2003年 種類:文化遺産 |
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、古代都市ナパタの遺跡で、ゲベル・バルカルには、13の寺院群、3つの神殿群の遺跡があります。
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、1820年代にヨーロッパの探検家に紹介されましたが、本格的な発掘は1916年からで、ジョージ・レイスナーがハーバード大学とボストン美術館の共同発掘隊のもとで調査にあたることで、始まりました。
古代都市ナパタは、カルツームの北400km、スーダン東部の町であるカリマの近くにあります。
ナイル川にある瀑布という大きな滝の中の第三瀑布と第四瀑布の間の川沿いに隔たった高さ98mの巨大な砂岩の山(ジャバル)の上にあります。
その理由として、エジプト人とクシ(のちのヌビア人)が、彼らの最高神・アモンは、90mの高山に棲むと考えられていたからです。
古代都市ナパタは、紀元前1450年頃、当時のエジプトのファラオ(皇帝)であるトトメス3世が征服したゲベル・バルカルを中心に作られた都市で、帝国の南限として繁栄しました。
ナパタは、のちにクシと呼ばれ、独立したヌビア王国となります。
クシ王国が撤退した後も、ナパタ地方は紀元前350年頃まで王室の住居として、宗教的な中心地として栄えました。