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アイット-ベン-ハドゥの集落
アイット-ベン-ハドゥの集落はモロッコ共和国の首都ラバトの南約300kmほどのアトラス山脈南麓のワルザザード州に位置する要塞集落のことで、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
小高い岩の丘の斜面に建てられたこのアイット-ベン-ハドゥの集落は陸商交易の中継地と
して栄えてきましたが、イスラム勢力から逃れてきたサハラの先住民であるベルベル人が、カスバと呼ばれる泥土を練り固めた土造りの要塞化した集落を今から約500年ほど前に造りました。
盗賊からの略奪を防ぐために城砦のような構造になっており、集落への入り口を1つにして、通路を入り組んだものにし、室内を暗くし、一階は窓がない換気口だけの馬小屋、二階は食料倉庫、三階が住居部分という造りになっています。
また身を守るための高い外壁には飾り窓に見せかけた銃眼があり、その全てが侵入者を阻むための幾重もの工夫が凝らしてあります。
アイット-ベン-ハドゥの集落 Ksar of Ait-Ben-Haddou 所在国:モロッコ共和国 世界遺産登録年:1987年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アイット-ベン-ハドゥの集落はモロッコ共和国の首都ラバトの南約300kmほどのアトラス山脈南麓のワルザザード州に位置する要塞集落のことで、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
小高い岩の丘の斜面に建てられたこのアイット-ベン-ハドゥの集落は陸商交易の中継地と
して栄えてきましたが、イスラム勢力から逃れてきたサハラの先住民であるベルベル人が、カスバと呼ばれる泥土を練り固めた土造りの要塞化した集落を今から約500年ほど前に造りました。
盗賊からの略奪を防ぐために城砦のような構造になっており、集落への入り口を1つにして、通路を入り組んだものにし、室内を暗くし、一階は窓がない換気口だけの馬小屋、二階は食料倉庫、三階が住居部分という造りになっています。
また身を守るための高い外壁には飾り窓に見せかけた銃眼があり、その全てが侵入者を阻むための幾重もの工夫が凝らしてあります。
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大ジンバブエ国立記念物
大ジンバブエ国立記念物はジンバブエ共和国の種とハラレから南に約300kmほど離れたマシンゴ州のジンバブエ高原の南にある石造建築遺跡のことで、1986年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ジンバブエとはショナ語で「首長、王の宮廷」の意味を含む『石の家』という一般的な言葉であるために、この最大規模で有名な遺跡を指す場合は大ジンバブエ遺跡(グレートジンバブエ遺跡)と呼びます。
遺跡の中心部にある石造建築物群は50世帯ほどの王や首長の一族のために築かれたもので、直方体の花崗岩ブロックを積み上げた円もしくは楕円形の建築物の組み合わせになっています。
全体の面積は周辺集落を含めて東西1.5km、南北1.5kmの約2平方キロメートルです。
石造建築は「エンクロージャー(囲壁)」と呼ばれており、北側に「アクロポリス」又は「丘上廃墟」と呼ばれる建造物群(エンクロージャー群)、その南方に広がる「谷の遺跡」と呼ばれている建造物群(エンクロージャー群)、そして最も有名な「大囲壁」(グレートエンクロージャー)の大きく3つに分けられています。
大ジンバブエ国立記念物 Great Zimbabwe National Monument 所在国:ジンバブエ共和国 世界遺産登録年:1986年 世界遺産の種類:文化遺産 |
大ジンバブエ国立記念物はジンバブエ共和国の種とハラレから南に約300kmほど離れたマシンゴ州のジンバブエ高原の南にある石造建築遺跡のことで、1986年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ジンバブエとはショナ語で「首長、王の宮廷」の意味を含む『石の家』という一般的な言葉であるために、この最大規模で有名な遺跡を指す場合は大ジンバブエ遺跡(グレートジンバブエ遺跡)と呼びます。
遺跡の中心部にある石造建築物群は50世帯ほどの王や首長の一族のために築かれたもので、直方体の花崗岩ブロックを積み上げた円もしくは楕円形の建築物の組み合わせになっています。
全体の面積は周辺集落を含めて東西1.5km、南北1.5kmの約2平方キロメートルです。
石造建築は「エンクロージャー(囲壁)」と呼ばれており、北側に「アクロポリス」又は「丘上廃墟」と呼ばれる建造物群(エンクロージャー群)、その南方に広がる「谷の遺跡」と呼ばれている建造物群(エンクロージャー群)、そして最も有名な「大囲壁」(グレートエンクロージャー)の大きく3つに分けられています。
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古代都市テーベとその墓地遺跡
古代都市テーベとその墓地遺跡はエジプトはナイル川東岸の地中海から南に約800kmに位置する古代エジプトの首都として栄えたテーベにある墓地遺跡で、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
テーベの現在の名前はルクソールと言い、ツタンカーメンが発掘された王家の谷がある
ことで有名です。
古代エジプトの王都はメンフィスに置かれることが多かったのですが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝まではテーベがエジプトの王都でアメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心として重要な宗教都市としての地位を保ち続けてきました。
テーベはナイル川によって東西に分けられており、日が昇る方向のナイル川の東岸にはカルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する王家の谷や王妃の谷、メディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)、ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)、デイル・エル・メディーナ、貴族の墓(Tombs of Nobles)、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像などがあります。
古代都市テーベとその墓地遺跡は考古学的価値の高い古代エジプト文明の貴重な遺産です。
古代都市テーベとその墓地遺跡 Ancient Thebes with its Necropolis 所在国:エジプト・アラブ共和国 世界遺産登録年:1979年 世界遺産の種類:文化遺産 |
古代都市テーベとその墓地遺跡はエジプトはナイル川東岸の地中海から南に約800kmに位置する古代エジプトの首都として栄えたテーベにある墓地遺跡で、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
テーベの現在の名前はルクソールと言い、ツタンカーメンが発掘された王家の谷がある
ことで有名です。
古代エジプトの王都はメンフィスに置かれることが多かったのですが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝まではテーベがエジプトの王都でアメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心として重要な宗教都市としての地位を保ち続けてきました。
テーベはナイル川によって東西に分けられており、日が昇る方向のナイル川の東岸にはカルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する王家の谷や王妃の谷、メディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)、ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)、デイル・エル・メディーナ、貴族の墓(Tombs of Nobles)、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像などがあります。
古代都市テーベとその墓地遺跡は考古学的価値の高い古代エジプト文明の貴重な遺産です。