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ケルン大聖堂
ケルン大聖堂は完成まで632年を要したゴシック様式を代表する世界最大の建築です。
正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂です。
現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀です。
2代目は818年に完成しましたが1248年の4月30日に火災により消失しました。
3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまりました。
しかし、16世紀に入って財政難から一度工事が中断しました。
建設が再開されるのは19世紀に入ってからです。
最終的に完成するのは1880年です。
カソリック教会の大聖堂らしく、何組もの美しい祭檀、数えきれない程の宗教美術品、装飾品が配置されており、大聖堂自体が世界的なキリスト教美術館として高い評価を受けています。
ケルン大聖堂の13世紀後期ロマネスク様式の一連のステンドグラスは、旧約聖書、新約聖書の物語を題材にとったもので、8世紀経過した現在でも鮮明な美しさを維持しています。
中でも、身廊の南側に並ぶ一連のステンドグラスは、バイエルン王ルートヴィッヒ一世が奉納したため「バイエルン窓」と呼ばれ、歴史的な芸術品として有名です。
1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされました。
2004年には危機遺産に指定されましたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年をもって解除されました。
ケルン大聖堂 Cologne Cathedral 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1996、2004年 種類:文化遺産 危機遺産 |
ケルン大聖堂は完成まで632年を要したゴシック様式を代表する世界最大の建築です。
正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂です。
現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀です。
2代目は818年に完成しましたが1248年の4月30日に火災により消失しました。
3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまりました。
しかし、16世紀に入って財政難から一度工事が中断しました。
建設が再開されるのは19世紀に入ってからです。
最終的に完成するのは1880年です。
カソリック教会の大聖堂らしく、何組もの美しい祭檀、数えきれない程の宗教美術品、装飾品が配置されており、大聖堂自体が世界的なキリスト教美術館として高い評価を受けています。
ケルン大聖堂の13世紀後期ロマネスク様式の一連のステンドグラスは、旧約聖書、新約聖書の物語を題材にとったもので、8世紀経過した現在でも鮮明な美しさを維持しています。
中でも、身廊の南側に並ぶ一連のステンドグラスは、バイエルン王ルートヴィッヒ一世が奉納したため「バイエルン窓」と呼ばれ、歴史的な芸術品として有名です。
1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされました。
2004年には危機遺産に指定されましたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年をもって解除されました。
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カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群
カゼルタはナポリの北25Kmにあります。
カゼルタの王宮はブルボン家のカルロス7世が1752年、建設に着手し、数千人の人員と30年の年月をかけて、ベルサイユ宮殿やマドリードの王宮をしのぐものを造営するために作らせたものです。
その規模は巨大で、パッケージツアーでは全体の見学には時間が足りないでしょう。
王宮内部は華麗なバロック装飾で飾られ、1200もの部屋と34もの階段をを持つ宮殿の後ろには120万平方メートルもの庭園が開けています。
ヴァンヴィテッリの水道橋とは、庭園の噴水、水盤、池、泉に水を満たすために、建築家のヴァンヴィテッリが40Km離れた山から水を引き込むために作ったものです。
この水道管はカロリーノと呼ばれ、そのスケールの壮大さに圧倒されます。
しかし、最終的にはナポリの執務機能をここに移転し、都市国家を作ろうとしましたが、途中で計画は中断しました。
また近隣のサン・レウチョには王立絹織物工場があります。
まだ知名度が低いためか、日本人もあまり訪れない場所のようですが、ナポリから近いので、一見の価値はあります。
カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群 18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex 所在国:イタリア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
カゼルタはナポリの北25Kmにあります。
カゼルタの王宮はブルボン家のカルロス7世が1752年、建設に着手し、数千人の人員と30年の年月をかけて、ベルサイユ宮殿やマドリードの王宮をしのぐものを造営するために作らせたものです。
その規模は巨大で、パッケージツアーでは全体の見学には時間が足りないでしょう。
王宮内部は華麗なバロック装飾で飾られ、1200もの部屋と34もの階段をを持つ宮殿の後ろには120万平方メートルもの庭園が開けています。
ヴァンヴィテッリの水道橋とは、庭園の噴水、水盤、池、泉に水を満たすために、建築家のヴァンヴィテッリが40Km離れた山から水を引き込むために作ったものです。
この水道管はカロリーノと呼ばれ、そのスケールの壮大さに圧倒されます。
しかし、最終的にはナポリの執務機能をここに移転し、都市国家を作ろうとしましたが、途中で計画は中断しました。
また近隣のサン・レウチョには王立絹織物工場があります。
まだ知名度が低いためか、日本人もあまり訪れない場所のようですが、ナポリから近いので、一見の価値はあります。
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オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地
オークニー諸島は、スコットランドの北にある大小約70の島からなる島々です。
スコットランド北端からわずか15Kmの距離です。
主島のメーンランド島のほか、ホイ島、サンデー島、ウェストレー島など約20の島に住民が住んでいます。
諸島内にはゴードン・チャイルドが調査を行ったスカラ・ブラエなど石器時代の遺跡もありますが、その後ピクト族が定住、875年から1231年まではノルウェー国王下のバイキング領主が支配しました。
のちデンマーク王の手を経て1472年にスコットランド領となり、1889年にオークニー州が創設されました。
州都はメーンランド島中央部のカークウォールで、市内にはノルマン風のセント・マグヌス大聖堂があります。
新石器時代の遺跡ですが、最大の遺跡は主島のメーンランド島にあり、巨大な墓所や儀式用の環状列石や住居などがあり、これらの遺跡は、起源前3000-2000年ころの人々の文化がどのようなものだったのかがうかがい知れるものとして大変貴重です。
オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地 Heart of Neolithic Orkney 所在国:イギリス・スコットランド 世界遺産登録:1999年 種類:文化遺産 |
オークニー諸島は、スコットランドの北にある大小約70の島からなる島々です。
スコットランド北端からわずか15Kmの距離です。
主島のメーンランド島のほか、ホイ島、サンデー島、ウェストレー島など約20の島に住民が住んでいます。
諸島内にはゴードン・チャイルドが調査を行ったスカラ・ブラエなど石器時代の遺跡もありますが、その後ピクト族が定住、875年から1231年まではノルウェー国王下のバイキング領主が支配しました。
のちデンマーク王の手を経て1472年にスコットランド領となり、1889年にオークニー州が創設されました。
州都はメーンランド島中央部のカークウォールで、市内にはノルマン風のセント・マグヌス大聖堂があります。
新石器時代の遺跡ですが、最大の遺跡は主島のメーンランド島にあり、巨大な墓所や儀式用の環状列石や住居などがあり、これらの遺跡は、起源前3000-2000年ころの人々の文化がどのようなものだったのかがうかがい知れるものとして大変貴重です。