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ザルツブルク市街の歴史地区
ザルツブルク市街の歴史地区は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台にもなり、天才音楽家アマデウス・モーツァルトの生家があることで有名な、まさに音楽の街であるザルツブルグ市街の街並みと、その中のゴシック様式のホーエンザルツブルク城などの建造物群がなんとも美しい都市景観を醸し出している文化遺産です。
オーストリアの北西部、ヨーロッパ南北の接点にあたるザルツブルグ州の州都であるザルツブルグは、その地名が『塩の砦(ザルツ=塩、ブルグ=砦)』という意味を持つように古くから塩の交易が盛んに行われたことで、繁栄しました。
また、大司教居城として利用されたレジデンツ宮殿や1077年にメンヒスブルク山頂に造られたホーエンザルツブルク城も、中世から19世紀に大きな権力を持っていたといわれる大司教の居城だったことでもわかるように、ザルツブルクの街は宗教都市としても栄えていました。
ザルツブルクは、モーツァルトの生家があるということで、音楽を愛する世界の人々にとっても巡礼地のように崇められており、毎年、ザルツブルク音楽祭が行われる夏の時期は、特に多くの観光客が集まります。
ザルツブルク市街の歴史地区 Historic Centre of the City of Salzburg 所在国:オーストリア共和国 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ザルツブルク市街の歴史地区は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台にもなり、天才音楽家アマデウス・モーツァルトの生家があることで有名な、まさに音楽の街であるザルツブルグ市街の街並みと、その中のゴシック様式のホーエンザルツブルク城などの建造物群がなんとも美しい都市景観を醸し出している文化遺産です。
オーストリアの北西部、ヨーロッパ南北の接点にあたるザルツブルグ州の州都であるザルツブルグは、その地名が『塩の砦(ザルツ=塩、ブルグ=砦)』という意味を持つように古くから塩の交易が盛んに行われたことで、繁栄しました。
また、大司教居城として利用されたレジデンツ宮殿や1077年にメンヒスブルク山頂に造られたホーエンザルツブルク城も、中世から19世紀に大きな権力を持っていたといわれる大司教の居城だったことでもわかるように、ザルツブルクの街は宗教都市としても栄えていました。
ザルツブルクは、モーツァルトの生家があるということで、音楽を愛する世界の人々にとっても巡礼地のように崇められており、毎年、ザルツブルク音楽祭が行われる夏の時期は、特に多くの観光客が集まります。
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コルドバ歴史地区
コルドバ歴史地区とは、スペイン南西部にあたるアンダルシア州コルドバ県の県都コルドバにある世界遺産地域で、アンダルシア州の州都セビリアからは北東に約130km行ったところにあります。
コルドバ市の中心には、後ウマイヤ朝時代の785年に建てられた回教(イスラム教)寺院のメスキータが残されており、その寺院の中の『円柱の森』は、とても幻想的な雰囲気を醸し出しています。
コルドバのメスキータは、回教(イスラム教)の中では、サウジアラビアのマッカ(メッカ)にあるカーバ(カアバ)神殿に次いで、世界第2の規模を持つ回教寺院ですが、13世紀のレコンキスタ(718年から1492年に行われたキリスト教信仰国によるスペイン(イベリア半島)の再征服活動)で、キリスト教徒の支配下になったため、カトリック教会の聖堂に転用されました。
そのため、回教(イスラム教)とカトリック教(キリスト教)が融合するという他に例のない特異な建造物です。
コルドバ歴史地区には、メスキータのほかにもクワダルキビール川にかかるローマ橋やユダヤ人街、アラブ様式の美しい庭園があるアルカサル城砦も含まれており、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文化がミックスされた複雑な歴史を現代に伝えています。
コルドバ歴史地区 Historic Centre of Cordoba 所在国:スペイン 世界遺産登録:1984年、1994年 種類:文化遺産 |
コルドバ歴史地区とは、スペイン南西部にあたるアンダルシア州コルドバ県の県都コルドバにある世界遺産地域で、アンダルシア州の州都セビリアからは北東に約130km行ったところにあります。
コルドバ市の中心には、後ウマイヤ朝時代の785年に建てられた回教(イスラム教)寺院のメスキータが残されており、その寺院の中の『円柱の森』は、とても幻想的な雰囲気を醸し出しています。
コルドバのメスキータは、回教(イスラム教)の中では、サウジアラビアのマッカ(メッカ)にあるカーバ(カアバ)神殿に次いで、世界第2の規模を持つ回教寺院ですが、13世紀のレコンキスタ(718年から1492年に行われたキリスト教信仰国によるスペイン(イベリア半島)の再征服活動)で、キリスト教徒の支配下になったため、カトリック教会の聖堂に転用されました。
そのため、回教(イスラム教)とカトリック教(キリスト教)が融合するという他に例のない特異な建造物です。
コルドバ歴史地区には、メスキータのほかにもクワダルキビール川にかかるローマ橋やユダヤ人街、アラブ様式の美しい庭園があるアルカサル城砦も含まれており、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文化がミックスされた複雑な歴史を現代に伝えています。
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コトルの自然と文化-歴史地域
コトルの自然と文化-歴史地域は、フィヨルドによる天然の港をもった街コトルが、その良港ゆえにたどった歴史を物語る遺跡が数多く残されたモンテネグロ共和国の文化遺産です。
コトルは、南側がアドリア海に面し、背後の北方には標高1,749mのロヴツェン山がある港町で、古代ローマ時代から海賊や諸外国からの攻撃をうけたり、領土争いの対象になってきました。
コトルに残されたローマ・カトリック教会や12世紀のロマネスク様式の聖トリフォン大聖堂、宮殿、広場などの遺産は、難攻不落と言われた中世の城郭都市の面影とともに貿易で栄えた当時の経済力の大きさが読み取れます。
コトルの自然と文化−歴史地域は、1979年4月15日にアドリア海東岸を襲った大地震の影響を受け、聖トリフォン大聖堂などの歴史的建造物が大きな被害を受けたため、危機にさらされている文化遺産として世界遺産登録されました。
今では、再建と修復が繰り返されたおかげで、2003年には危機遺産としての登録は解除され、その美しい景観を取り戻しています。
コトルの自然と文化-歴史地域 Natural and Culturo-Historical Region of Kotor 所在国:モンテネグロ共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
コトルの自然と文化-歴史地域は、フィヨルドによる天然の港をもった街コトルが、その良港ゆえにたどった歴史を物語る遺跡が数多く残されたモンテネグロ共和国の文化遺産です。
コトルは、南側がアドリア海に面し、背後の北方には標高1,749mのロヴツェン山がある港町で、古代ローマ時代から海賊や諸外国からの攻撃をうけたり、領土争いの対象になってきました。
コトルに残されたローマ・カトリック教会や12世紀のロマネスク様式の聖トリフォン大聖堂、宮殿、広場などの遺産は、難攻不落と言われた中世の城郭都市の面影とともに貿易で栄えた当時の経済力の大きさが読み取れます。
コトルの自然と文化−歴史地域は、1979年4月15日にアドリア海東岸を襲った大地震の影響を受け、聖トリフォン大聖堂などの歴史的建造物が大きな被害を受けたため、危機にさらされている文化遺産として世界遺産登録されました。
今では、再建と修復が繰り返されたおかげで、2003年には危機遺産としての登録は解除され、その美しい景観を取り戻しています。