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ポブレー修道院
ポブレー修道院はスペインのタラゴナから北西へ約36kmのところにあります。
創建は1151年で、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世が、イスラムとの戦いに勝利した際、聖母マリアへの感謝の印として修道院を作ることを決め、カタルーニャにおける最初のシトー派の修道院としてポブレー修道院が設立されました。
ハイメ1世やペドロ4世らアラゴン王国の王や王妃たちの墓所があります。
またポブレー修道院はスペインでは一番の規模を誇ります。
古い建物の常でロマネスクからバロックまで様式が入り乱れており、規模の大きさと厚い城壁に囲まれている様子からは当時の修道院の絶大な権力を知ることができます。
ポブレー修道院の特徴は、君主の居館と修道院を合体させたもので、大変珍しい建物となっていることです。
また、入り口や主祭壇を飾る祭壇衝立がバロック様式でできているのに対し、回廊の柱頭はロマネスク様式、アーチはゴシック様式とさまざまな様式が混在しています。
ポブレー修道院 Poblet Monastery 所在国:スペイン 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
ポブレー修道院はスペインのタラゴナから北西へ約36kmのところにあります。
創建は1151年で、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世が、イスラムとの戦いに勝利した際、聖母マリアへの感謝の印として修道院を作ることを決め、カタルーニャにおける最初のシトー派の修道院としてポブレー修道院が設立されました。
ハイメ1世やペドロ4世らアラゴン王国の王や王妃たちの墓所があります。
またポブレー修道院はスペインでは一番の規模を誇ります。
古い建物の常でロマネスクからバロックまで様式が入り乱れており、規模の大きさと厚い城壁に囲まれている様子からは当時の修道院の絶大な権力を知ることができます。
ポブレー修道院の特徴は、君主の居館と修道院を合体させたもので、大変珍しい建物となっていることです。
また、入り口や主祭壇を飾る祭壇衝立がバロック様式でできているのに対し、回廊の柱頭はロマネスク様式、アーチはゴシック様式とさまざまな様式が混在しています。
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パリのセーヌ河岸
パリのセーヌ河岸の世界遺産の登録対象は、セーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmで、これには、セーヌ川の中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内の橋も含まれています。
では登録対象を見てみましょう。
セーヌ右岸にはパリ市庁舎、マリー・アントワネットの処刑が行われた広場、コンコルド広場、マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ通り、パリ万国博覧会 (1900年)のために建設されたグラン・パレ、プティ・パレ、シャイヨー宮などがあります。
セーヌ左岸にはオルセー美術館、ブルボン宮殿、シャン・ド・マルス公園、エッフェル塔があります。
シテ島にはノートルダム大聖堂、ルイ9世の頃には王宮として使われていたパレ・ド・ジュスティス(裁判所)、マリー・アントワネットが収監されていた独房が残る牢獄跡であるサント・シャペル、コンシェルジュリーなど、パリの観光地としての楽しさと一緒に楽しめます。
パリのセーヌ河岸 Paris, Banks of the Seine 所在国:フランス 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
パリのセーヌ河岸の世界遺産の登録対象は、セーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmで、これには、セーヌ川の中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内の橋も含まれています。
では登録対象を見てみましょう。
セーヌ右岸にはパリ市庁舎、マリー・アントワネットの処刑が行われた広場、コンコルド広場、マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ通り、パリ万国博覧会 (1900年)のために建設されたグラン・パレ、プティ・パレ、シャイヨー宮などがあります。
セーヌ左岸にはオルセー美術館、ブルボン宮殿、シャン・ド・マルス公園、エッフェル塔があります。
シテ島にはノートルダム大聖堂、ルイ9世の頃には王宮として使われていたパレ・ド・ジュスティス(裁判所)、マリー・アントワネットが収監されていた独房が残る牢獄跡であるサント・シャペル、コンシェルジュリーなど、パリの観光地としての楽しさと一緒に楽しめます。
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デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群」はロシアのダゲスタン共和国の首都マハチカラから121Km、カスピ海の西岸にある古都市デルベントに存在します。
古都市デルベントは一説によると5000年の歴史があるといわれています。
5世紀のササン朝ペルシア時代以降、この地は東西貿易(ヨーロッパと中東)の要衝でした。
また、東西の文明が交錯する地点であったため、外敵の侵入を阻む必要がありました。
そこで石造りの城壁と要塞が造られました。
城壁は高さ12m、厚さ最大3.8mで、2本の城壁が300から400mの距離をおいて平行に築かれています。
また、監視塔は73個数えられています。
これはカスピ海側、コーカサス山脈側の間に作られ、デルベントの町はその間に建築され、中世の面影を残しています。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、19世紀までコーカサス地方の戦略的に重要な拠点として、その役割を果たしていました。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent 所在国:ロシア 世界遺産登録:2003年 種類:文化遺産 |
「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群」はロシアのダゲスタン共和国の首都マハチカラから121Km、カスピ海の西岸にある古都市デルベントに存在します。
古都市デルベントは一説によると5000年の歴史があるといわれています。
5世紀のササン朝ペルシア時代以降、この地は東西貿易(ヨーロッパと中東)の要衝でした。
また、東西の文明が交錯する地点であったため、外敵の侵入を阻む必要がありました。
そこで石造りの城壁と要塞が造られました。
城壁は高さ12m、厚さ最大3.8mで、2本の城壁が300から400mの距離をおいて平行に築かれています。
また、監視塔は73個数えられています。
これはカスピ海側、コーカサス山脈側の間に作られ、デルベントの町はその間に建築され、中世の面影を残しています。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、19世紀までコーカサス地方の戦略的に重要な拠点として、その役割を果たしていました。