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ヴァルトブルク城
ヴァルトブルク城は、ドイツはチューリンゲン州のアイゼナッハにあります。
山上にそびえたつ漆黒のヴァルトブルク城は、12世紀に建てられたものへ、16世紀までに幾度も増築改築をされて出来ています。
12世紀にタンホイザー伝承による歌合戦を盛んに行っていたことから、リヒャルト・ワーグナーが歌劇「タンホイザー」の舞台ともなりました。
他にも多くの偉人、文化人ゆかりの地として知られています。
代表的なところでは、マルティン・ルターが、新約聖書をドイツ語に翻訳した場所として知られています。
その時のエピソードとして、ルターが悪魔にインクびんを投げつけた、というものがありますが、そのインクの染みが現在でも残っています。
また聖女エリザベートがハンガリーからわずか4歳で嫁いできた場所でもあります。
大詩人ゲーテもヴァルトブルク城をいくどか訪れ、詩を残しています。
ヴァルトブルク城 Wartburg Castle 所在国 : ドイツ 世界遺産登録:1999年 種類:文化遺産 |
ヴァルトブルク城は、ドイツはチューリンゲン州のアイゼナッハにあります。
山上にそびえたつ漆黒のヴァルトブルク城は、12世紀に建てられたものへ、16世紀までに幾度も増築改築をされて出来ています。
12世紀にタンホイザー伝承による歌合戦を盛んに行っていたことから、リヒャルト・ワーグナーが歌劇「タンホイザー」の舞台ともなりました。
他にも多くの偉人、文化人ゆかりの地として知られています。
代表的なところでは、マルティン・ルターが、新約聖書をドイツ語に翻訳した場所として知られています。
その時のエピソードとして、ルターが悪魔にインクびんを投げつけた、というものがありますが、そのインクの染みが現在でも残っています。
また聖女エリザベートがハンガリーからわずか4歳で嫁いできた場所でもあります。
大詩人ゲーテもヴァルトブルク城をいくどか訪れ、詩を残しています。
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モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場
モデナの大聖堂、市民の塔とグランデ広場は、イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州、モデナにあります。
町のランドマークといえるモデナの大聖堂は、設計を建築家ランフランコが行い、正面のレリーフを彫刻家ヴィリジェルモによって、モデナが自由都市コムーネだった12世紀に建設されました。
ロンバルディア・ロマネスク様式の傑作とされています。
モデナ大聖堂の隣には、高さ88メートルの鐘楼トッレ・チヴィカが建てられています。
青銅でつくられた花飾り「ギルランド」があることから、建設当初から、ギルランディーナと呼ばれ、親しまれてきました。
モデナには、最寄のボローニャからだと列車で30分ほど、ミラノからだと、特急で2時間弱でアクセスできます。
モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場 Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena 所在国 : イタリア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
モデナの大聖堂、市民の塔とグランデ広場は、イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州、モデナにあります。
町のランドマークといえるモデナの大聖堂は、設計を建築家ランフランコが行い、正面のレリーフを彫刻家ヴィリジェルモによって、モデナが自由都市コムーネだった12世紀に建設されました。
ロンバルディア・ロマネスク様式の傑作とされています。
モデナ大聖堂の隣には、高さ88メートルの鐘楼トッレ・チヴィカが建てられています。
青銅でつくられた花飾り「ギルランド」があることから、建設当初から、ギルランディーナと呼ばれ、親しまれてきました。
モデナには、最寄のボローニャからだと列車で30分ほど、ミラノからだと、特急で2時間弱でアクセスできます。
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ミディ運河
ミディ運河は、フランスのトゥールーズ、ガロンヌ川から地中海に面したトー湖までの、全長240キロメートル、支流部分を含めれば360キロメートルにもおよぶ運河です。
地中海と大西洋を結ぶ輸送行路として南フランスの発展に大きな役割を果たしました。
とりわけラングドック地方のワインの生産量増加に貢献しています。
ミディ運河の建設プランは、徴税使ピエール=ポール・リケ(Pierre-Paul Riquet)によって発案されたものです。
ジブラルタル海峡の通行税というスペインのくびきからの脱却を狙ったもので、当時の国王ルイ14世にも国家プロジェクトとして認可を受けています。
ミディ運河の工事は1666年から始まり、1681年に完成をみました。
当時の最先端技術を駆使し、標高差21メートルをクリアした閘門、フォンセランヌの7段ロックは壮観です。
技術面だけでなく、景観としても、リケは、運河に沿って、4万5千本ものプラタナスなどの樹木を植えたりと、南フランスの美しい自然と調和させました。
こうしたこともあって費用は予想以上にかさみ、国の予算では足らず、リケ自身の財産も投じての工事となりました。
19世紀以降、ミディ鉄道が通ったことで、輸送手段としての役割は終了しましたが、運河クルーズとして、人気の観光ルートとして機能しています。
ミディ運河 Canal du Midi 所在国 : フランス 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ミディ運河は、フランスのトゥールーズ、ガロンヌ川から地中海に面したトー湖までの、全長240キロメートル、支流部分を含めれば360キロメートルにもおよぶ運河です。
地中海と大西洋を結ぶ輸送行路として南フランスの発展に大きな役割を果たしました。
とりわけラングドック地方のワインの生産量増加に貢献しています。
ミディ運河の建設プランは、徴税使ピエール=ポール・リケ(Pierre-Paul Riquet)によって発案されたものです。
ジブラルタル海峡の通行税というスペインのくびきからの脱却を狙ったもので、当時の国王ルイ14世にも国家プロジェクトとして認可を受けています。
ミディ運河の工事は1666年から始まり、1681年に完成をみました。
当時の最先端技術を駆使し、標高差21メートルをクリアした閘門、フォンセランヌの7段ロックは壮観です。
技術面だけでなく、景観としても、リケは、運河に沿って、4万5千本ものプラタナスなどの樹木を植えたりと、南フランスの美しい自然と調和させました。
こうしたこともあって費用は予想以上にかさみ、国の予算では足らず、リケ自身の財産も投じての工事となりました。
19世紀以降、ミディ鉄道が通ったことで、輸送手段としての役割は終了しましたが、運河クルーズとして、人気の観光ルートとして機能しています。