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レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ
レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフは、ドナウ川河畔、中世の面影の濃い美しい古都レーゲンスブルクにあります。
レーゲンスブルクの旧市街はまるでおとぎの国のようです。
ミュンヘンとニュルンベルクの間に位置するドナウ沿いの小さなこの町は、中世の街並みが爆撃で破壊されずにそのまま残っていて、狭いスペースに約1000ものローマ時代の駐屯地として歴史に名を残す重要建築物がひしめきっています。
2006年に世界遺産に登録されました。
ここにある大聖堂は有名ですが、付属の少年合唱団は、ウィーンと並んで世界的に有名です。
また、ゲーテがチェコの保養地カールス・バートから密かにイタリア旅行に出かけたときに通ったドナウ川の石橋や最初に宿泊した河畔のホテル「白羊亭」なども当時のまま残っています。
レーゲンスブルクの旧市街の中心地までは、公共の乗り物以外は、乗り入れることができません。
こぼれ話世界最初の植物学会は、レーゲンスブルクで設立されました。
また、ドイツ最古のソーセージスタンドもあり、夏場は野外でのんびりとドナウを眺めながらビールとソーセージ。
レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ Old town of Regensburg with Stadtamhof 所在国:ドイツ連邦共和国 世界遺産登録年:2006年 世界遺産の種類:文化遺産 |
レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフは、ドナウ川河畔、中世の面影の濃い美しい古都レーゲンスブルクにあります。
レーゲンスブルクの旧市街はまるでおとぎの国のようです。
ミュンヘンとニュルンベルクの間に位置するドナウ沿いの小さなこの町は、中世の街並みが爆撃で破壊されずにそのまま残っていて、狭いスペースに約1000ものローマ時代の駐屯地として歴史に名を残す重要建築物がひしめきっています。
2006年に世界遺産に登録されました。
ここにある大聖堂は有名ですが、付属の少年合唱団は、ウィーンと並んで世界的に有名です。
また、ゲーテがチェコの保養地カールス・バートから密かにイタリア旅行に出かけたときに通ったドナウ川の石橋や最初に宿泊した河畔のホテル「白羊亭」なども当時のまま残っています。
レーゲンスブルクの旧市街の中心地までは、公共の乗り物以外は、乗り入れることができません。
こぼれ話世界最初の植物学会は、レーゲンスブルクで設立されました。
また、ドイツ最古のソーセージスタンドもあり、夏場は野外でのんびりとドナウを眺めながらビールとソーセージ。
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サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナは、アフリカ沖の大西洋上にある7つの島からなるカナリア諸島のテネリフェ島の北東にあります。
ラ・ラグナと呼ばれるサン・クリストバル・デ・ラ・ラグナはテネリフェ島で二番目に人口の多く、古くからの大学都市としても知られているところです。
テネリフェ島のかつての首都であったこの街は、何世紀にもわたってテネリフェ島の政治、そして宗教、文化の中心都市として重要な役割を果たしてきました。
この街は、もともと存在した街と、都市計画に基づいて新たにつくられた街にわかれています。
新たに築かれた街は大通りと広場に面して16世紀から18世紀に建てられた荘厳で芸術的なサン・フランシス教会、クリスト・デ・ラ・ラグーナ教会、サンタ・カタリナ修道院などの教会や公共施設などが整然と並んで建てられています。
新たに作られたこの街が、スペイン最初の要塞のない殖民都市として、その後、スペインがアメリカ大陸で展開する多くの植民都市建設において理想的な街づくりのお手本となっています。
※カナリア諸島 スペインから見ると南西、モロッコの西側の諸島になります。
イベリア半島から約1800km、アフリカ西岸から約100kmに位置する距離です。
人口150万人、東西500キロ、南北200キロの範囲に、大きな島が7つ、小さな島が 6つ合計13の島があり、8つの島以外は無人島。
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ San Cristobal de La Laguna 所在国:ム 世界遺産登録年:1999年 世界遺産の種類:文化遺産 |
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナは、アフリカ沖の大西洋上にある7つの島からなるカナリア諸島のテネリフェ島の北東にあります。
ラ・ラグナと呼ばれるサン・クリストバル・デ・ラ・ラグナはテネリフェ島で二番目に人口の多く、古くからの大学都市としても知られているところです。
テネリフェ島のかつての首都であったこの街は、何世紀にもわたってテネリフェ島の政治、そして宗教、文化の中心都市として重要な役割を果たしてきました。
この街は、もともと存在した街と、都市計画に基づいて新たにつくられた街にわかれています。
新たに築かれた街は大通りと広場に面して16世紀から18世紀に建てられた荘厳で芸術的なサン・フランシス教会、クリスト・デ・ラ・ラグーナ教会、サンタ・カタリナ修道院などの教会や公共施設などが整然と並んで建てられています。
新たに作られたこの街が、スペイン最初の要塞のない殖民都市として、その後、スペインがアメリカ大陸で展開する多くの植民都市建設において理想的な街づくりのお手本となっています。
※カナリア諸島 スペインから見ると南西、モロッコの西側の諸島になります。
イベリア半島から約1800km、アフリカ西岸から約100kmに位置する距離です。
人口150万人、東西500キロ、南北200キロの範囲に、大きな島が7つ、小さな島が 6つ合計13の島があり、8つの島以外は無人島。
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ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)
ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)は、イタリア、ローマの東約30kmにあるティヴォリという丘陵の町にあります。
ティヴォリは、穏やかな気候と豊かな森に囲まれ、古代ローマ時代から避暑地として詩人カトゥッロ、ユリウス・カエサル、ハドリアヌス皇帝のような上流階級の人たちがこぞって別荘を建てました。
別荘地といっても、敷地は城壁で囲われており、内部には兵舎や公衆浴場・劇場があり、いくつか宮殿もあります。
中でももっとも大きい別荘が、アトリアヌス帝の命により建設されたヴィッラ・アドリアーナです。
完成までに17年の歳月が費やされました。
水のせせらぎを聞き、窓枠で切り取った庭と空を眺めながら、談笑し、ワインを楽しんでいたわけです。
ティブルヌスの神殿、シビッラ・アルブーネアの神殿や、エステ家の別荘などがあり、貴族や皇帝たちの贅を極めた当時の生活ぶりを垣間見ることができます。
ハドリアヌスが死亡後、ローマ皇帝たちがこの別荘を利用することはあまりませんでした。
以後、廃墟となりましたが、15世紀ごろから発掘されました。
発掘には、同じティヴォリにエステ家の別荘の設計を任されていた、ピーロ・リゴーリオなども加わっていた。
※エステ荘の泉 ティボリにあるエステ家の別荘は、枢機卿イッポリト・デステ2世がP.リゴリオの設計によってたてたもの。
マニエリスム期イタリア様式の広い庭園のあちこちに、彫像と噴水にかざられた多くの泉が配置されている。
ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ) Villa Adriana (Tivoli) 所在国:イタリア共和国 世界遺産登録年:1999年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)は、イタリア、ローマの東約30kmにあるティヴォリという丘陵の町にあります。
ティヴォリは、穏やかな気候と豊かな森に囲まれ、古代ローマ時代から避暑地として詩人カトゥッロ、ユリウス・カエサル、ハドリアヌス皇帝のような上流階級の人たちがこぞって別荘を建てました。
別荘地といっても、敷地は城壁で囲われており、内部には兵舎や公衆浴場・劇場があり、いくつか宮殿もあります。
中でももっとも大きい別荘が、アトリアヌス帝の命により建設されたヴィッラ・アドリアーナです。
完成までに17年の歳月が費やされました。
水のせせらぎを聞き、窓枠で切り取った庭と空を眺めながら、談笑し、ワインを楽しんでいたわけです。
ティブルヌスの神殿、シビッラ・アルブーネアの神殿や、エステ家の別荘などがあり、貴族や皇帝たちの贅を極めた当時の生活ぶりを垣間見ることができます。
ハドリアヌスが死亡後、ローマ皇帝たちがこの別荘を利用することはあまりませんでした。
以後、廃墟となりましたが、15世紀ごろから発掘されました。
発掘には、同じティヴォリにエステ家の別荘の設計を任されていた、ピーロ・リゴーリオなども加わっていた。
※エステ荘の泉 ティボリにあるエステ家の別荘は、枢機卿イッポリト・デステ2世がP.リゴリオの設計によってたてたもの。
マニエリスム期イタリア様式の広い庭園のあちこちに、彫像と噴水にかざられた多くの泉が配置されている。