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ルーゴのローマの城壁群
ルーゴのローマの城壁群は、スペイン北西部の都市ガリシア州ルーゴ県の県都ルーゴにあります。
山で囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れています。
ルーゴは、紀元前26年から12年にかけてこの街を防御するためにアウグストゥスの軍団長によって建設され城壁で、「ルークス・アウグスティ」と名付けられました。
この「ルークス」の意味は「明るい」「聖なる森」など諸説があります。
城壁の高さは10メートルから15メートルで、長さは2.5km、71の塔を持っています。
その城壁は、すべてが損傷なく、完全に街を360度、隙間なく取り囲んでいます。
西欧で見られるローマ帝国時代の城砦建造技術を今に伝えるもっとも貴重な遺産です。
ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もありま。
1129年、聖母マリアに捧げられる、ロマネスク様式のカテドラル(大聖堂)の建設が始まり、以後、中世後期から、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となり、街として復活しました。
ルーゴの城壁は2000年に「ルーゴのローマ城壁群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
ルーゴのローマの城壁群 Roman Walls of Lugo 所在国:スペイン 世界遺産登録年:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ルーゴのローマの城壁群は、スペイン北西部の都市ガリシア州ルーゴ県の県都ルーゴにあります。
山で囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れています。
ルーゴは、紀元前26年から12年にかけてこの街を防御するためにアウグストゥスの軍団長によって建設され城壁で、「ルークス・アウグスティ」と名付けられました。
この「ルークス」の意味は「明るい」「聖なる森」など諸説があります。
城壁の高さは10メートルから15メートルで、長さは2.5km、71の塔を持っています。
その城壁は、すべてが損傷なく、完全に街を360度、隙間なく取り囲んでいます。
西欧で見られるローマ帝国時代の城砦建造技術を今に伝えるもっとも貴重な遺産です。
ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もありま。
1129年、聖母マリアに捧げられる、ロマネスク様式のカテドラル(大聖堂)の建設が始まり、以後、中世後期から、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となり、街として復活しました。
ルーゴの城壁は2000年に「ルーゴのローマ城壁群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
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アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群
アッシージは、ローマの北約130kmに位置する小高い丘陵につくられた、中世の香り高い、美しい町です。
アッシージは、イタリアの守護聖人フランチェスコの生地でもあります。
フランチェスコは、1210年に「小さき兄弟たちの修道会」を創立し、貧者や病人に奉仕する生涯を送りました。
ここに建てられている聖フランチェスコ聖堂は、フランチェスコの死後2年の1228年に着工されたゴシック建築の傑作であり、街のシンボルでもあります。
山の狭い斜面に建っている聖フランチェスコ聖堂は、奥行きのある単廊式が採用され、祭壇には南インドの木彫りがみられます。
広い壁一面は、ジェットやその師匠チマブーエなど当代きっての芸術家たちのフレスコ画で覆われ、中世末期からルネサンス期への移行期にあたる宗教絵画の宝庫でもあります。
壁面が広く取れる単身廊式の聖堂は、後世にも受け継がれ、それは同時にフレスコ画の発展を促しました。
現在、大部分が博物館となり、総督としてゴアに赴任したバスコ・ダ・ガマや、宣教の模様を描いた絵などが展示されています。
そして2000年に聖フランチェスコ聖堂は、フランチェスコゆかりの建築群とともに世界遺産に登録されました。
サンタ・キアラ教会もそのひとつです。
ここにキアラ女子修道会を創立した聖女キアラが埋葬されています。
キアラは、アッシージの貴族の娘でしたが、フランチェスコの教えに賛同してこの世の財産を全てを放棄し、 1212年に清貧の精神を生きる女性たちのグループを作りました。
これが女子修道会クララ会の始まりとされています。
南郊にはフランチェスコが修復したサン・ダミアーノ修道院もあります。
さらに南には、16世紀建立のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、そしてフランシスコ会発展の母胎となったポルツィウンコラ礼拝堂など、様々なフランチェスコゆかりの教会や場所があります。
【聖フランシスコの言葉】
神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。
わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。
太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。
わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。
月と星はあなたのけだかさを受けています。
わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。
風はいのちのあるものを支えます。
わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。
水はわたしたちを清め、力づけます。
わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。
火はわたしたちを暖め、よろこばせます。
わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。
大地は草や木を育て、みのらせます。
神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、 病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。
終わりまで安らかに耐え抜いく者は、あなたから永遠の冠を受けます。
わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。
この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。
大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。
神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。
第二の死は、かれを損なうことはありません。
神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、感謝します。
アッシジ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群 Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites 所在国:イタリア共和国 世界遺産登録年:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アッシージは、ローマの北約130kmに位置する小高い丘陵につくられた、中世の香り高い、美しい町です。
アッシージは、イタリアの守護聖人フランチェスコの生地でもあります。
フランチェスコは、1210年に「小さき兄弟たちの修道会」を創立し、貧者や病人に奉仕する生涯を送りました。
ここに建てられている聖フランチェスコ聖堂は、フランチェスコの死後2年の1228年に着工されたゴシック建築の傑作であり、街のシンボルでもあります。
山の狭い斜面に建っている聖フランチェスコ聖堂は、奥行きのある単廊式が採用され、祭壇には南インドの木彫りがみられます。
広い壁一面は、ジェットやその師匠チマブーエなど当代きっての芸術家たちのフレスコ画で覆われ、中世末期からルネサンス期への移行期にあたる宗教絵画の宝庫でもあります。
壁面が広く取れる単身廊式の聖堂は、後世にも受け継がれ、それは同時にフレスコ画の発展を促しました。
現在、大部分が博物館となり、総督としてゴアに赴任したバスコ・ダ・ガマや、宣教の模様を描いた絵などが展示されています。
そして2000年に聖フランチェスコ聖堂は、フランチェスコゆかりの建築群とともに世界遺産に登録されました。
サンタ・キアラ教会もそのひとつです。
ここにキアラ女子修道会を創立した聖女キアラが埋葬されています。
キアラは、アッシージの貴族の娘でしたが、フランチェスコの教えに賛同してこの世の財産を全てを放棄し、 1212年に清貧の精神を生きる女性たちのグループを作りました。
これが女子修道会クララ会の始まりとされています。
南郊にはフランチェスコが修復したサン・ダミアーノ修道院もあります。
さらに南には、16世紀建立のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、そしてフランシスコ会発展の母胎となったポルツィウンコラ礼拝堂など、様々なフランチェスコゆかりの教会や場所があります。
【聖フランシスコの言葉】
神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。
わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。
太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。
わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。
月と星はあなたのけだかさを受けています。
わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。
風はいのちのあるものを支えます。
わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。
水はわたしたちを清め、力づけます。
わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。
火はわたしたちを暖め、よろこばせます。
わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。
大地は草や木を育て、みのらせます。
神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、 病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。
終わりまで安らかに耐え抜いく者は、あなたから永遠の冠を受けます。
わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。
この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。
大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。
神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。
第二の死は、かれを損なうことはありません。
神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、感謝します。
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エルチェの椰子園
エルチェの椰子園は、スペインの南西部バレンシアの南、約140?のところにあります。
その規模は、ヨーロッパでは最大規模といわれる椰子園で200万?以上の広さを誇っています。
今現在は、11000本以上、樹齢300年以上のナツメヤシがここに植えられています。
この椰子園の歴史は古く、2000年前にさかのぼります。
エルチェは、地中海沿岸にあり、究めて温暖な気候に恵まれた土地で、北アフリカからフェニキア人によってナツメヤシが移植されたものであると考えられています。
カルタゴの後にエルチェも含めたイベリア半島全域を支配したローマ帝国、ムーア人の統治の下でも、この椰子園は生き残ってきました。
椰子園が現在の形を形成するようになったのは、アブド・アッラフマーン1世が、アラブ世界特有の灌漑システムをこの椰子園に導入したことにより、年間で300?の降水量しか降らないエルチェでもナツメヤシを育成することに可能にしたからです。
このようなアラブの技術がヨーロッパに持ち込まれて現在にいたるまで活用されているケースは、歴史的にもきわめて稀なことです。
雄の椰子の葉(枝)は枝の祝日(復活祭直前の日曜日)の行列や工芸品のために使われます。
エルチェの椰子園 Palmeral of Elche 所在国:スペイン 世界遺産登録年:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
エルチェの椰子園は、スペインの南西部バレンシアの南、約140?のところにあります。
その規模は、ヨーロッパでは最大規模といわれる椰子園で200万?以上の広さを誇っています。
今現在は、11000本以上、樹齢300年以上のナツメヤシがここに植えられています。
この椰子園の歴史は古く、2000年前にさかのぼります。
エルチェは、地中海沿岸にあり、究めて温暖な気候に恵まれた土地で、北アフリカからフェニキア人によってナツメヤシが移植されたものであると考えられています。
カルタゴの後にエルチェも含めたイベリア半島全域を支配したローマ帝国、ムーア人の統治の下でも、この椰子園は生き残ってきました。
椰子園が現在の形を形成するようになったのは、アブド・アッラフマーン1世が、アラブ世界特有の灌漑システムをこの椰子園に導入したことにより、年間で300?の降水量しか降らないエルチェでもナツメヤシを育成することに可能にしたからです。
このようなアラブの技術がヨーロッパに持ち込まれて現在にいたるまで活用されているケースは、歴史的にもきわめて稀なことです。
雄の椰子の葉(枝)は枝の祝日(復活祭直前の日曜日)の行列や工芸品のために使われます。