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ニュー・ラナーク
ニュー・ラナークは、イギリスはスコットランド中南部に位置する、19世紀の産業革命のなごりをとどめる紡績工場跡です。
クライド川沿いに建造されたニューラナークは、川の水力を利用したもので、当時、イギリス最大の綿紡績工場でした。
イギリスの社会主義者ロバート・オーウェンが1800年から1825年にかけて管理、運営をしたことでも有名です。
産業革命の最中、労働者の待遇は実にひどい状況でしたが、ロバート・オーウェンは、労働者の環境改善を掲げて、工場法を提唱し、労働組合を設立したりしました。
また、ニューラナークの工場は、単なる働き場所にとどまらず、労働者の住宅、学校、無料医療サービス、生活協同組合をも併せ持つ、一種のコミュニティでした。
ニューラナークへのアクセスはロンドンからひとまずグラスゴーへ行き、そこから訪ねるというのが一般的です。
ニュー・ラナーク New Lanark 所在国 : イギリス 世界遺産登録:2001年 種類:文化遺産 |
ニュー・ラナークは、イギリスはスコットランド中南部に位置する、19世紀の産業革命のなごりをとどめる紡績工場跡です。
クライド川沿いに建造されたニューラナークは、川の水力を利用したもので、当時、イギリス最大の綿紡績工場でした。
イギリスの社会主義者ロバート・オーウェンが1800年から1825年にかけて管理、運営をしたことでも有名です。
産業革命の最中、労働者の待遇は実にひどい状況でしたが、ロバート・オーウェンは、労働者の環境改善を掲げて、工場法を提唱し、労働組合を設立したりしました。
また、ニューラナークの工場は、単なる働き場所にとどまらず、労働者の住宅、学校、無料医療サービス、生活協同組合をも併せ持つ、一種のコミュニティでした。
ニューラナークへのアクセスはロンドンからひとまずグラスゴーへ行き、そこから訪ねるというのが一般的です。
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago スペイン語)は、キリスト教の第三の聖地(第一、第二は、エルサレム、ローマ)といわれるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで向かうためのルートのことです。
サンティアゴとは、12使徒のひとり聖ヤコブのことです。
9世紀にこの聖ヤコブの遺骸が埋葬されているということが知られるようになると、ヨーロッパ中から巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して旅しました。
11世紀にはレコンキスタということもあり、巡礼者の数は年間50万人以上にものぼったとされています。
フランスからサンティアゴまでの道のりの主なルートとしては、南下してピレネー山脈を越える道が4つあります。
すなわち「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」です。
フランス語では、le chemin de Saint Jacques(サン・ジャックの道)と呼ばれています。
スペインからの巡礼路としては、ナバラ州からカスティーリャ・レオン州の北部を西に横断し、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう「フランスの道」がメインルートで、その部分部分を「アラゴンの道」「ナバラの道」とも呼びます。
フランスの道は、およそ800キロの道のりで、徒歩ですと約一ヶ月かかります。
なお、パリからスタートすると、その道のりはおよそ約5000キロにもなります。
巡礼路の途中には、その当時建設された教会や、救護院、修道院などの遺跡が数多く残されていて、現在もその道のりを自分の足でたどることで、敬虔な気持ちを思い起こさせてくれます。
巡礼のシンボルは帆立貝で、ひょうたんを持って旅をします。
道中には、救護施設(refugio)という宿があり、格安で泊まれるほか、宿泊すると巡礼手帳にスタンプを押してくれます。
世界的にも珍しい道の遺産ということで1993年に世界遺産に登録されましたが、その後、フランス側の巡礼路も拡張ではなく、独自の遺産とみなし「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として1998年に別途登録されています。
なお、日本の世界遺産である熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)と1998年10月に友好姉妹道となっています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 Route of Santiago de Compostela 所在国 : スペイン 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago スペイン語)は、キリスト教の第三の聖地(第一、第二は、エルサレム、ローマ)といわれるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで向かうためのルートのことです。
サンティアゴとは、12使徒のひとり聖ヤコブのことです。
9世紀にこの聖ヤコブの遺骸が埋葬されているということが知られるようになると、ヨーロッパ中から巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して旅しました。
11世紀にはレコンキスタということもあり、巡礼者の数は年間50万人以上にものぼったとされています。
フランスからサンティアゴまでの道のりの主なルートとしては、南下してピレネー山脈を越える道が4つあります。
すなわち「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」です。
フランス語では、le chemin de Saint Jacques(サン・ジャックの道)と呼ばれています。
スペインからの巡礼路としては、ナバラ州からカスティーリャ・レオン州の北部を西に横断し、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう「フランスの道」がメインルートで、その部分部分を「アラゴンの道」「ナバラの道」とも呼びます。
フランスの道は、およそ800キロの道のりで、徒歩ですと約一ヶ月かかります。
なお、パリからスタートすると、その道のりはおよそ約5000キロにもなります。
巡礼路の途中には、その当時建設された教会や、救護院、修道院などの遺跡が数多く残されていて、現在もその道のりを自分の足でたどることで、敬虔な気持ちを思い起こさせてくれます。
巡礼のシンボルは帆立貝で、ひょうたんを持って旅をします。
道中には、救護施設(refugio)という宿があり、格安で泊まれるほか、宿泊すると巡礼手帳にスタンプを押してくれます。
世界的にも珍しい道の遺産ということで1993年に世界遺産に登録されましたが、その後、フランス側の巡礼路も拡張ではなく、独自の遺産とみなし「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として1998年に別途登録されています。
なお、日本の世界遺産である熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)と1998年10月に友好姉妹道となっています。
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アヴィニョン歴史地区:法王庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋
アヴィニョン歴史地区は、南フランスのプロヴァンス地方に位置しています。
アヴィニョンは、14世紀、いわゆる「教皇のバビロン捕囚」(1309年〜1377年)によってローマ教皇庁が置かれていたことから、ローマ法王関連の遺跡が数多く遺されています。
代表的なものとしては、教皇宮殿、プチ・パレ、ロシェ・デ・ドン、ノートルダム・デ・ドン大聖堂、サン・ベネゼ橋(アヴィニョンの橋)が挙げられます。
高さ50メートルもの城壁に囲まれた教皇庁は、旧宮殿(パレ・ヴィュー)と新宮殿(パレ・ヌフ)の二つの区画から構成されています。
1335年から1364年までおよそ30年もの歳月をかけて建造されました。
重厚な旧宮殿は、ベネディクトゥス12世の命で、ミルポワのピエール・ポワソンが扱いました。
華やかな新宮殿は、クレメンス6世の命でジャン・ド・ルーヴルが扱いました。
プチ・パレ(Petit Palais, 小宮殿)は14世紀に建造された司教館です。
現在は美術館となっていますが、ボッティチェリ作「聖母子」やクリヴェッリ作「四聖人」などルネサンス期のイタリア絵画やアヴィニョン派の絵画が数多く展示されています。
ロシェ・デ・ドン(Rocher des Doms, ドンの岩壁)は、教皇宮殿の北に位置する岩壁です。
岩壁の上は公園となっていて、ローヌ川やサン・ベネゼ橋、対岸のヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンなどを一望することができます。
ノートルダム・デ・ドン大聖堂ノートルダム・デ・ドン大聖堂 (Cathedrale Notre-Dame des Doms) は、ロシェ・デ・ドンと教皇宮殿のちょうど間に建てられたロマネスク様式の教会堂です。
そびえたつ西側の鐘楼には、黄金に輝く聖母像が備え付けられていますが、これは1859年のものです。
サン・ベネゼ橋は1190年に建造されました。
アヴィニョンのシンボルとして、「アヴィニョン橋」の名として知られています。
当時は全長900メートルにもおよび、対岸のヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンまで伸びる22のアーチと21の橋脚を持つ橋でしたが、現存するのは4つのアーチと、橋上のサン・ベネゼ礼拝堂のみとなっています。
アヴィニョン歴史地区:法王庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋 Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge 所在国 : フランス 世界遺産登録:1995年 種類:文化遺産 |
アヴィニョン歴史地区は、南フランスのプロヴァンス地方に位置しています。
アヴィニョンは、14世紀、いわゆる「教皇のバビロン捕囚」(1309年〜1377年)によってローマ教皇庁が置かれていたことから、ローマ法王関連の遺跡が数多く遺されています。
代表的なものとしては、教皇宮殿、プチ・パレ、ロシェ・デ・ドン、ノートルダム・デ・ドン大聖堂、サン・ベネゼ橋(アヴィニョンの橋)が挙げられます。
高さ50メートルもの城壁に囲まれた教皇庁は、旧宮殿(パレ・ヴィュー)と新宮殿(パレ・ヌフ)の二つの区画から構成されています。
1335年から1364年までおよそ30年もの歳月をかけて建造されました。
重厚な旧宮殿は、ベネディクトゥス12世の命で、ミルポワのピエール・ポワソンが扱いました。
華やかな新宮殿は、クレメンス6世の命でジャン・ド・ルーヴルが扱いました。
プチ・パレ(Petit Palais, 小宮殿)は14世紀に建造された司教館です。
現在は美術館となっていますが、ボッティチェリ作「聖母子」やクリヴェッリ作「四聖人」などルネサンス期のイタリア絵画やアヴィニョン派の絵画が数多く展示されています。
ロシェ・デ・ドン(Rocher des Doms, ドンの岩壁)は、教皇宮殿の北に位置する岩壁です。
岩壁の上は公園となっていて、ローヌ川やサン・ベネゼ橋、対岸のヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンなどを一望することができます。
ノートルダム・デ・ドン大聖堂ノートルダム・デ・ドン大聖堂 (Cathedrale Notre-Dame des Doms) は、ロシェ・デ・ドンと教皇宮殿のちょうど間に建てられたロマネスク様式の教会堂です。
そびえたつ西側の鐘楼には、黄金に輝く聖母像が備え付けられていますが、これは1859年のものです。
サン・ベネゼ橋は1190年に建造されました。
アヴィニョンのシンボルとして、「アヴィニョン橋」の名として知られています。
当時は全長900メートルにもおよび、対岸のヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンまで伸びる22のアーチと21の橋脚を持つ橋でしたが、現存するのは4つのアーチと、橋上のサン・ベネゼ礼拝堂のみとなっています。