このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
ラパ・ヌイ国立公園
ラバ・ヌイ国立公園は、モアイ像で有名なイースター島全域を指す太平洋に浮かぶ火山島で、1935年にチリ共和国の国立公園に指定され、1995年には、文化遺産として世界遺産登録をされています。
ラパ・ヌイとは、ポリネシア系先住民の言葉で『広い大地』や『大きな島』を意味し、島の正式名は、スペイン語のバスクア島(Isla de Pascua)です。
イースター島(Easer Island)は英語での呼称。
イースター島(バスクア島)は、チリの首都サンチアゴから西へ3760km、タヒチから東へ4050kmの南太平洋上にあり、4世紀頃にポリネシアのマルケサス島から移住したのが先住民と推測されており、それから約1300年後の1722年にオランダ人海軍提督のヤコブ・ロッゲフェーンに発見されるまで、孤立が故に複雑で謎に満ちた神秘的な文化が形成されました。
不可思議な凝灰石で造られた巨石像モアイをはじめ、アウという大きな石の祭壇、鳥人の儀式が行われたとされる村や墓や火葬場、住居跡、内壁を石で縁取られた洞窟、その中の壁画や岩絵、モアイが切り出された石切り場や武器、道具なども残されており、ラパ・ヌイの文化を知る貴重な遺跡といえます。
モアイは、10〜16世紀にかけて行われた各部族や血族の神化された先祖という意味合いで、村の守り神として造られましたが、16〜17世紀には部族間の内紛が勃発し、フリ・モアイと呼ばれるモアイ倒し戦争(モアイ倒し闘争)が繰り広げられ、多くのモアイ像が破壊されたと言われています。
ラパ・ヌイ国立公園 Rapa Nui National Park 所在国:チリ共和国 世界遺産登録:1995年 種類:文化遺産 |
ラバ・ヌイ国立公園は、モアイ像で有名なイースター島全域を指す太平洋に浮かぶ火山島で、1935年にチリ共和国の国立公園に指定され、1995年には、文化遺産として世界遺産登録をされています。
ラパ・ヌイとは、ポリネシア系先住民の言葉で『広い大地』や『大きな島』を意味し、島の正式名は、スペイン語のバスクア島(Isla de Pascua)です。
イースター島(Easer Island)は英語での呼称。
イースター島(バスクア島)は、チリの首都サンチアゴから西へ3760km、タヒチから東へ4050kmの南太平洋上にあり、4世紀頃にポリネシアのマルケサス島から移住したのが先住民と推測されており、それから約1300年後の1722年にオランダ人海軍提督のヤコブ・ロッゲフェーンに発見されるまで、孤立が故に複雑で謎に満ちた神秘的な文化が形成されました。
不可思議な凝灰石で造られた巨石像モアイをはじめ、アウという大きな石の祭壇、鳥人の儀式が行われたとされる村や墓や火葬場、住居跡、内壁を石で縁取られた洞窟、その中の壁画や岩絵、モアイが切り出された石切り場や武器、道具なども残されており、ラパ・ヌイの文化を知る貴重な遺跡といえます。
モアイは、10〜16世紀にかけて行われた各部族や血族の神化された先祖という意味合いで、村の守り神として造られましたが、16〜17世紀には部族間の内紛が勃発し、フリ・モアイと呼ばれるモアイ倒し戦争(モアイ倒し闘争)が繰り広げられ、多くのモアイ像が破壊されたと言われています。
PR
スポンサードリンク
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群は、17〜18世紀に先住民のインディオ・グアラニー人にキリスト教の布教活動を行なうためにイエズス会の宣教師により造られた多くの伝道施設群です。
1632年に造られたサントス・コスメ・イ・ダミアン、1685年に造られたヘスース・デ・タバランゲ、1706年に造られたラ・サンティシマ・トリニダート・デ・パラナなどからなり、なかでも保存状態のいいトリニダードのレドックシオン(教化集落)の遺跡に使われている赤レンガは、美しく芸術的な景観を持っています。
イエズス会の布教活動により、最盛期には20万人のインディオ・グアラニー人がキリスト教を信仰し、強い影響力を持ちましたが、1767年には、スペインの命令により追放されてしまいました。
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群は、パラグアイ共和国の首都であるアスンシオンの南東に位置するエンカルナシオンの近くにあります。
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群 Jesuit Missions of La Santisima Trinidad de Parana and Jesus de Tavarangue 所在国:パラグアイ共和国 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群は、17〜18世紀に先住民のインディオ・グアラニー人にキリスト教の布教活動を行なうためにイエズス会の宣教師により造られた多くの伝道施設群です。
1632年に造られたサントス・コスメ・イ・ダミアン、1685年に造られたヘスース・デ・タバランゲ、1706年に造られたラ・サンティシマ・トリニダート・デ・パラナなどからなり、なかでも保存状態のいいトリニダードのレドックシオン(教化集落)の遺跡に使われている赤レンガは、美しく芸術的な景観を持っています。
イエズス会の布教活動により、最盛期には20万人のインディオ・グアラニー人がキリスト教を信仰し、強い影響力を持ちましたが、1767年には、スペインの命令により追放されてしまいました。
ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群は、パラグアイ共和国の首都であるアスンシオンの南東に位置するエンカルナシオンの近くにあります。
スポンサードリンク
ポトシ市街
ポトシ市街は、1545年にスペイン人の手により発見された『豊かな丘』という意味を持つセロ・リコ銀山の下に栄えた町ポトシ市一帯を指す文化遺産です。
ポトシ市街は、ボリヴィア共和国の首都ラパスから南東約440kmに位置し、人が住む都市としては、世界最高地である標高4070mにあります。
ポトシのセロ・リコ銀山は、スペイン統治下でメキシコのサカテカス、グアナファトとともに中南米三大鉱山に数えられるほど活動していましたが、銀の採掘作業には、約800万人ものインディオの奴隷が強制的に集められ、犠牲になったと言われ、『人を食う山』としても恐れられていたため、奴隷制度の象徴として、負の世界遺産として数えられています。
赤茶けたセロ・リコ銀山の裾野に広がるポトシ市街は、石畳の道や旧王立造幣局、多くの金銀箔が利用されたサン・マルティン教会、バロック様式のサンロレンソ教会など当時の繁栄を象徴する多くの建造物が現存しています。
ポトシでは、今でも、手掘りで錫(すず)、鉛、銅、銀などの採掘を続けている坑夫がいます。
ポトシ市街 City of Potosi 所在国:ボリヴィア共和国 世界遺産登録:1987年 種類:文化遺産 |
ポトシ市街は、1545年にスペイン人の手により発見された『豊かな丘』という意味を持つセロ・リコ銀山の下に栄えた町ポトシ市一帯を指す文化遺産です。
ポトシ市街は、ボリヴィア共和国の首都ラパスから南東約440kmに位置し、人が住む都市としては、世界最高地である標高4070mにあります。
ポトシのセロ・リコ銀山は、スペイン統治下でメキシコのサカテカス、グアナファトとともに中南米三大鉱山に数えられるほど活動していましたが、銀の採掘作業には、約800万人ものインディオの奴隷が強制的に集められ、犠牲になったと言われ、『人を食う山』としても恐れられていたため、奴隷制度の象徴として、負の世界遺産として数えられています。
赤茶けたセロ・リコ銀山の裾野に広がるポトシ市街は、石畳の道や旧王立造幣局、多くの金銀箔が利用されたサン・マルティン教会、バロック様式のサンロレンソ教会など当時の繁栄を象徴する多くの建造物が現存しています。
ポトシでは、今でも、手掘りで錫(すず)、鉛、銅、銀などの採掘を続けている坑夫がいます。