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ペルセポリス
ペルセポリスは、古代オリエント世界を初めて統一・支配した大帝国アケメネス朝ペルシアの聖都と言われるところで、イラン中南部、シーラーズの北東約60kmのタフテ・ジャムシードに位置しています。
ダレイオス1世によって紀元前518年に築かれましたこのペルセポリスは、紀元前330年にアレクサンドロス大王が率いるマケドニア軍によって焼き払われ、滅んでしまいましたが、いたるところに残る石像やレリーフが、当時の様子をうかがい知る事ができます。
長辺約455m、短辺約300mの大基壇の上に宮殿や王妃の居室、宝物庫などが建ち並んだ建築群、「カナート」と呼ばれる砂漠の灌漑施設、壁に施された独特の浮き彫り、高さ約20mの石柱、柱頭などに見られる動物の彫像など、帝国の歴代王が、どのように統治を行ったのかを物語る貴重な資料になっています。
また、ペルセポリスは、新年祭などの儀礼行為も次第にスサやバビロンに場所を移され、次第に実際の政治から遠ざかっていったにも関わらず、アケメネス朝の滅亡の時まで首都と見なされていました。
アレクサンドロス大王にペルセポリス攻略の際に、12万タラントン3の黄金を手に入れているからも、朝最末期においてもペルセポリスが重要な都市であったことを物語っています。
ペルセポリス Persepolis 所在国:イラン・イスラム共和国 世界遺産登録年: 1979年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ペルセポリスは、古代オリエント世界を初めて統一・支配した大帝国アケメネス朝ペルシアの聖都と言われるところで、イラン中南部、シーラーズの北東約60kmのタフテ・ジャムシードに位置しています。
ダレイオス1世によって紀元前518年に築かれましたこのペルセポリスは、紀元前330年にアレクサンドロス大王が率いるマケドニア軍によって焼き払われ、滅んでしまいましたが、いたるところに残る石像やレリーフが、当時の様子をうかがい知る事ができます。
長辺約455m、短辺約300mの大基壇の上に宮殿や王妃の居室、宝物庫などが建ち並んだ建築群、「カナート」と呼ばれる砂漠の灌漑施設、壁に施された独特の浮き彫り、高さ約20mの石柱、柱頭などに見られる動物の彫像など、帝国の歴代王が、どのように統治を行ったのかを物語る貴重な資料になっています。
また、ペルセポリスは、新年祭などの儀礼行為も次第にスサやバビロンに場所を移され、次第に実際の政治から遠ざかっていったにも関わらず、アケメネス朝の滅亡の時まで首都と見なされていました。
アレクサンドロス大王にペルセポリス攻略の際に、12万タラントン3の黄金を手に入れているからも、朝最末期においてもペルセポリスが重要な都市であったことを物語っています。
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