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古都アユタヤ
世界文化遺産の古都アユタヤは、タイの首都バンコクから、車で約1時間、3つの川の合流地点にあります。
14世紀から18世紀までの約400年もの間、貿易を中心に栄えた、アユタヤ王朝は、北にスコータイ、東にクメール、南にマラッカ王国、西にビルマと、四方を強国に囲まれていましたが、1362年、クメール王朝のアンコールを攻めて領土を広げると、1438年にはスコータイを吸収し、東南アジア最大の国家となりました。
最盛期には、3つの宮殿、100の門、400の寺院、1万体の仏像を要したという古都アユタヤ。
アユタヤはヒンドゥー教の影響を受けたクメールを真似て、王自ら神の化身を名乗り、独裁的で厳粛な法や罰を適用して国を引き締めました。
建築様式もその影響を受けて、仏像ひとつとっても形は数パターンに決められており、豪華絢爛かつ厳格な美術様式で国民を圧倒したのです。
ちなみに現在バンコクで見られる王宮などはこのアユタヤの豪華絢爛を再現したもので、アユタヤはスコータイとともにタイ美術の基礎を磨き上げました。
16世紀になるとポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスらと通商条約を結び、アユタヤ王朝は「シャム」と呼ばれ、世界規模の貿易によって大繁栄しました。
アユタヤ王朝と聞いてもピンと来なかった人も、「シャム」や「山田長政」「日本人町」と聞くと、イメージがつかめるのではないでしょうか?山田長政が朱印船でこの国に来たのが1612年で、やがて日本人傭兵隊長となり、日本人町の頭領となったことは有名です。
(小学校の教科書に載っていましたね)アジア各国が次々と植民地化されるなか、アユタヤは欧米列強との巧みな外交政策を通して独立を貫き通しましたが、1767年、ビルマ・コンパウン朝のシンビューシンによって陥落し、400年に及ぶ王朝は幕を下ろしたのです。
古都アユタヤ Historic City of Ayutthaya 所在国:タイ王国 世界遺産登録年:1991年 世界遺産の種類:文化遺産 |
世界文化遺産の古都アユタヤは、タイの首都バンコクから、車で約1時間、3つの川の合流地点にあります。
14世紀から18世紀までの約400年もの間、貿易を中心に栄えた、アユタヤ王朝は、北にスコータイ、東にクメール、南にマラッカ王国、西にビルマと、四方を強国に囲まれていましたが、1362年、クメール王朝のアンコールを攻めて領土を広げると、1438年にはスコータイを吸収し、東南アジア最大の国家となりました。
最盛期には、3つの宮殿、100の門、400の寺院、1万体の仏像を要したという古都アユタヤ。
アユタヤはヒンドゥー教の影響を受けたクメールを真似て、王自ら神の化身を名乗り、独裁的で厳粛な法や罰を適用して国を引き締めました。
建築様式もその影響を受けて、仏像ひとつとっても形は数パターンに決められており、豪華絢爛かつ厳格な美術様式で国民を圧倒したのです。
ちなみに現在バンコクで見られる王宮などはこのアユタヤの豪華絢爛を再現したもので、アユタヤはスコータイとともにタイ美術の基礎を磨き上げました。
16世紀になるとポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスらと通商条約を結び、アユタヤ王朝は「シャム」と呼ばれ、世界規模の貿易によって大繁栄しました。
アユタヤ王朝と聞いてもピンと来なかった人も、「シャム」や「山田長政」「日本人町」と聞くと、イメージがつかめるのではないでしょうか?山田長政が朱印船でこの国に来たのが1612年で、やがて日本人傭兵隊長となり、日本人町の頭領となったことは有名です。
(小学校の教科書に載っていましたね)アジア各国が次々と植民地化されるなか、アユタヤは欧米列強との巧みな外交政策を通して独立を貫き通しましたが、1767年、ビルマ・コンパウン朝のシンビューシンによって陥落し、400年に及ぶ王朝は幕を下ろしたのです。
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