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明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群
明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群は中国(中華人民共和国)の河北省、遼寧省、湖北省、の広い範囲に渡って存在している明清時代の歴代皇帝、皇后などの陵墓群であり2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
明時代の陵墓には湖北省鐘祥市東にある嘉靖皇帝の親を合葬した墓があり、面積は約18000アールと非常に大きく中国最大の明代の単体の皇帝陵墓です。
清時代の陵墓には中国の首都北京の東150キロメートル、河北省遵化市西の馬蘭峪に位置している清の東陵と、北京から南西へ約120キロメートル、河北省易県の西約14kmの永寧山南麓に位置する清の西陵があります。
河北省の清の東陵は清時代の順治18年に建設され、皇帝、皇后、妃王女など14の陵墓があり5人の皇帝(順治帝の孝陵、2代目の康煕帝の景陵、4代目の乾隆帝の裕陵、 7代目の咸豊帝の定陵、8代目の同治帝の恵陵)、15人の皇后(孝荘、孝恵、孝貞(慈安)、孝欽(西太后慈喜)など)、136人の妃王女(景妃、景双妃、裕妃、定妃、恵妃など)が埋葬されています。
面積は約250万平方キローメートルにおよび、後竜と前圏の二つの部分に分かれており、西陵と共に中国の現存する陵墓群として最大規模にして保存状態の良いものです。
河北省の清の西陵には4人の皇帝、9人の皇后、56人の妃王女および王公と公主などが埋葬されています。
また2003年には北京の北約50キロメートルの天寿山南麓にある明代十三陵明(3代永楽帝から7代皇帝を除き16代皇帝)と南京・玄武湖の東に位置する紫金山の中腹にある明朝初代皇帝の朱元璋の陵墓である孝陵(江蘇)が明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群の世界遺産(文化遺産)に追加登録されました。
明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群 Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties 所在国:中国(中華人民共和国) 世界遺産登録年数:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群は中国(中華人民共和国)の河北省、遼寧省、湖北省、の広い範囲に渡って存在している明清時代の歴代皇帝、皇后などの陵墓群であり2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
明時代の陵墓には湖北省鐘祥市東にある嘉靖皇帝の親を合葬した墓があり、面積は約18000アールと非常に大きく中国最大の明代の単体の皇帝陵墓です。
清時代の陵墓には中国の首都北京の東150キロメートル、河北省遵化市西の馬蘭峪に位置している清の東陵と、北京から南西へ約120キロメートル、河北省易県の西約14kmの永寧山南麓に位置する清の西陵があります。
河北省の清の東陵は清時代の順治18年に建設され、皇帝、皇后、妃王女など14の陵墓があり5人の皇帝(順治帝の孝陵、2代目の康煕帝の景陵、4代目の乾隆帝の裕陵、 7代目の咸豊帝の定陵、8代目の同治帝の恵陵)、15人の皇后(孝荘、孝恵、孝貞(慈安)、孝欽(西太后慈喜)など)、136人の妃王女(景妃、景双妃、裕妃、定妃、恵妃など)が埋葬されています。
面積は約250万平方キローメートルにおよび、後竜と前圏の二つの部分に分かれており、西陵と共に中国の現存する陵墓群として最大規模にして保存状態の良いものです。
河北省の清の西陵には4人の皇帝、9人の皇后、56人の妃王女および王公と公主などが埋葬されています。
また2003年には北京の北約50キロメートルの天寿山南麓にある明代十三陵明(3代永楽帝から7代皇帝を除き16代皇帝)と南京・玄武湖の東に位置する紫金山の中腹にある明朝初代皇帝の朱元璋の陵墓である孝陵(江蘇)が明(ミン)・清(チン)朝の皇帝陵墓群の世界遺産(文化遺産)に追加登録されました。
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龍門(ロンメン)石窟
龍門(ロンメン)石窟は中国(中華人民共和国)の河南省洛陽市から南に約12キロメートルの位置にあり、石窟約2000カ所、石像約10万体、石碑3600個あまり、仏塔約40個が点在している中国古代歴史と芸術の貴重な文化財を擁する中国三大石窟の一つであり、2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
洛陽の南の伊河の両に長さ約1キロメートルに渡ってそびえている龍門山(西山)と香山(東山)の崖にこれらは点在しており、北魏時代のものが約3分の1、唐時代のものが約3分の2と言われています。
最も有名なものは唐時代の則天武后の統治時期に造られた奉先寺石窟のの廬舎那大仏像で、高さが約17メートルもある大らかで優美な美しさは品格の高さを見せながら、荘厳さをも兼ね備えたものです。
この廬舎那大仏像は仏教への信仰の厚かった則天武后をモデルにしたとも言われていて、その両脇には廬舎那大仏像を守護するかのように菩薩、天王、仁王が並んでいます。
その他の代表的な石窟には北魏時代の「古陽洞」「賓陽洞」「蓮花洞」や唐時代の「潜渓寺」「万仏洞」「看経寺」などがあり、龍門石窟の石碑に刻まれる書は中国書法芸術の至宝とも言われており、仏教芸術が成熟した時代の歴史的芸術的価値の非常に高いものです。
龍門(ロンメン)石窟 Longmen Grottoes 所在国:中国(中華人民共和国) 世界遺産登録年数:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
龍門(ロンメン)石窟は中国(中華人民共和国)の河南省洛陽市から南に約12キロメートルの位置にあり、石窟約2000カ所、石像約10万体、石碑3600個あまり、仏塔約40個が点在している中国古代歴史と芸術の貴重な文化財を擁する中国三大石窟の一つであり、2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
洛陽の南の伊河の両に長さ約1キロメートルに渡ってそびえている龍門山(西山)と香山(東山)の崖にこれらは点在しており、北魏時代のものが約3分の1、唐時代のものが約3分の2と言われています。
最も有名なものは唐時代の則天武后の統治時期に造られた奉先寺石窟のの廬舎那大仏像で、高さが約17メートルもある大らかで優美な美しさは品格の高さを見せながら、荘厳さをも兼ね備えたものです。
この廬舎那大仏像は仏教への信仰の厚かった則天武后をモデルにしたとも言われていて、その両脇には廬舎那大仏像を守護するかのように菩薩、天王、仁王が並んでいます。
その他の代表的な石窟には北魏時代の「古陽洞」「賓陽洞」「蓮花洞」や唐時代の「潜渓寺」「万仏洞」「看経寺」などがあり、龍門石窟の石碑に刻まれる書は中国書法芸術の至宝とも言われており、仏教芸術が成熟した時代の歴史的芸術的価値の非常に高いものです。
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チャンパネール-パーヴァガドゥ遺跡公園
チャンパネール-パーヴァガドゥ遺跡公園はインドの西部にあるグジャラート州のチャンパネール村にある非常に多くの考古遺跡が密集する地域です。
この地域には先史時代の考古遺跡から初期ヒンドゥー文化の要塞遺跡、さらには15世紀にイスラム教徒のムハマッド・ベガタにより築かれた都市遺跡など極めて幅広い時代の遺跡が残されており、2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
チャンパネール−パーヴァガドゥ遺跡公園は城壁に囲まれたチャンパネール村と、そこから南西へ約4kmの位置にあるパーヴァガドゥ山の二つの地域に分けられます。
チャンパネールは8世紀頃にヒンドゥー教の王国であったチャウハン朝時代に築かれ14世紀まで栄えた都市で、要塞、宮殿、宗教施設、住居、水道設備などが建設されました。
しかし1553年にはムガル帝国に滅ぼされたため、チャンパネール遺跡はムガル帝国がインドを支配する以前の都市の姿を完全に残した唯一の都市遺跡となっています。
ケウラーモスク、ジャミーモスクなどの代表的なモスクはイスラム様式ではなくインドの文化を色濃く反映させており、インド・イスラム様式といえる2つの文化の融合された独自のものとなっています。
またパーヴァガドゥ山のカーリーカマタ寺院はヒンドゥー教徒の聖地であり現在も熱心な信者の信仰の拠り所となっています。
チャンパネール-パーヴァガドゥ遺跡公園 Champaner-Pavagadh Archaeological Park 所在国:インド 世界遺産登録年数:2004年 世界遺産の種類:文化遺産 |
チャンパネール-パーヴァガドゥ遺跡公園はインドの西部にあるグジャラート州のチャンパネール村にある非常に多くの考古遺跡が密集する地域です。
この地域には先史時代の考古遺跡から初期ヒンドゥー文化の要塞遺跡、さらには15世紀にイスラム教徒のムハマッド・ベガタにより築かれた都市遺跡など極めて幅広い時代の遺跡が残されており、2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
チャンパネール−パーヴァガドゥ遺跡公園は城壁に囲まれたチャンパネール村と、そこから南西へ約4kmの位置にあるパーヴァガドゥ山の二つの地域に分けられます。
チャンパネールは8世紀頃にヒンドゥー教の王国であったチャウハン朝時代に築かれ14世紀まで栄えた都市で、要塞、宮殿、宗教施設、住居、水道設備などが建設されました。
しかし1553年にはムガル帝国に滅ぼされたため、チャンパネール遺跡はムガル帝国がインドを支配する以前の都市の姿を完全に残した唯一の都市遺跡となっています。
ケウラーモスク、ジャミーモスクなどの代表的なモスクはイスラム様式ではなくインドの文化を色濃く反映させており、インド・イスラム様式といえる2つの文化の融合された独自のものとなっています。
またパーヴァガドゥ山のカーリーカマタ寺院はヒンドゥー教徒の聖地であり現在も熱心な信者の信仰の拠り所となっています。