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ウクハランバ/ドラケンスバーグ自然公園
南アフリカ共和国のウクハランバ/ドラケンスバーグ自然公園は、多くの自然保護区と国有林、湿地帯、サン人による洞窟壁画がその対象です。
「ドラケンスバーグ」はアフリカーンス語で「竜の山」を意味し、ズールー語ではウクハランバ(「槍の障壁」)と呼ばれています。
ドラケンスバーグは南アフリカ共和国で一番高い山脈で、3000メートル級の山が連なっています。
多くの高山は登頂されていますが、低山の中には未踏峰もあり、まだまだ秘境といっていいでしょう。
山脈はアフリカ大陸の北端に位置し、アフリカ高原の終端です。
地層的には砂岩からなる基盤岩の上に厚さ1500m以上の玄武岩の層が載っています。
そのため山腹の急峻な山塊と尖峰が入り混じる山容を示しています。
砂岩の壁面には、ところどころ口を覗かせる洞窟があり、古代サン人による洞窟壁画が多く残っていまする。
この洞窟壁画(どうくつへきが、英語名:Cave painting)は、通常は有史以前に洞窟や岩壁の壁面および天井部に描かれた絵の総称をいいます。
これらは現存する人類最古の絵画です。
これらの壁画は4万年前の後期旧石器時代より製作されています。
描かれたモチーフは社会的に敬われていた年長者や、シャーマンによる作品であると推測されています。
ウクハランバ/ドラケンスバーグ自然公園 uKhahlamba / Drakensberg Park 所在国:南アフリカ共和国 世界遺産登録:2000年 種類:複合遺産(文化遺産、自然遺産) |
南アフリカ共和国のウクハランバ/ドラケンスバーグ自然公園は、多くの自然保護区と国有林、湿地帯、サン人による洞窟壁画がその対象です。
「ドラケンスバーグ」はアフリカーンス語で「竜の山」を意味し、ズールー語ではウクハランバ(「槍の障壁」)と呼ばれています。
ドラケンスバーグは南アフリカ共和国で一番高い山脈で、3000メートル級の山が連なっています。
多くの高山は登頂されていますが、低山の中には未踏峰もあり、まだまだ秘境といっていいでしょう。
山脈はアフリカ大陸の北端に位置し、アフリカ高原の終端です。
地層的には砂岩からなる基盤岩の上に厚さ1500m以上の玄武岩の層が載っています。
そのため山腹の急峻な山塊と尖峰が入り混じる山容を示しています。
砂岩の壁面には、ところどころ口を覗かせる洞窟があり、古代サン人による洞窟壁画が多く残っていまする。
この洞窟壁画(どうくつへきが、英語名:Cave painting)は、通常は有史以前に洞窟や岩壁の壁面および天井部に描かれた絵の総称をいいます。
これらは現存する人類最古の絵画です。
これらの壁画は4万年前の後期旧石器時代より製作されています。
描かれたモチーフは社会的に敬われていた年長者や、シャーマンによる作品であると推測されています。
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イスラーム都市カイロ
カイロといえばエジプトの首都です。
また人口1500万を擁するアフリカ最大の都市です。
10世紀に創建されたカイロは、東西交易の大中継地点として発展し、以来アフリカ大陸と中東地域の政治・経済・文化の中心地であり続けました。
世界遺産に登録されたのはカイロの旧市街です。
ここには世界で一番モスクが多いといわれ、またそれ以外にも中世の建造物が立ち並び、往時の面影を色濃く残しています。
モスクの塔が林立する様子から、カイロは「千の塔の都」と讃えられています。
代表的なモスクをあげると、876-9年にトゥールーン王朝の創設者、アフメド・イブン・トゥールーンによって建設されたイブン・トゥールーン・モスク、スルタン・ムハンマド・エル・ナーシルのために建てられたムハンマド・エル・ナーシル・モスク、1410年に完成し、赤いモスクとして知られているエル・ムアイヤド・モスク、モスクと霊廟と病院からなり、スルタン・エル・マンスール・カラーウーンによって1284年に建設され始め、息子のスルタン・ムハンマド・エル・ナーシルによって1293年に完成されたカラーウーン・モスク、アラブ建築の傑作とみなされている1356-1362年に建てられたスルタン・ハッサン・モスク、墓のあるモスクの中で最もりっぱな例の一つであり、1472-74年に建てられたカーイト・バイ・モスク、1398-1411年に建てられたスルタン・バルクーク・モスクなどが有名です。
イスラーム都市カイロ Islamic Cairo 所在国:エジプト 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
カイロといえばエジプトの首都です。
また人口1500万を擁するアフリカ最大の都市です。
10世紀に創建されたカイロは、東西交易の大中継地点として発展し、以来アフリカ大陸と中東地域の政治・経済・文化の中心地であり続けました。
世界遺産に登録されたのはカイロの旧市街です。
ここには世界で一番モスクが多いといわれ、またそれ以外にも中世の建造物が立ち並び、往時の面影を色濃く残しています。
モスクの塔が林立する様子から、カイロは「千の塔の都」と讃えられています。
代表的なモスクをあげると、876-9年にトゥールーン王朝の創設者、アフメド・イブン・トゥールーンによって建設されたイブン・トゥールーン・モスク、スルタン・ムハンマド・エル・ナーシルのために建てられたムハンマド・エル・ナーシル・モスク、1410年に完成し、赤いモスクとして知られているエル・ムアイヤド・モスク、モスクと霊廟と病院からなり、スルタン・エル・マンスール・カラーウーンによって1284年に建設され始め、息子のスルタン・ムハンマド・エル・ナーシルによって1293年に完成されたカラーウーン・モスク、アラブ建築の傑作とみなされている1356-1362年に建てられたスルタン・ハッサン・モスク、墓のあるモスクの中で最もりっぱな例の一つであり、1472-74年に建てられたカーイト・バイ・モスク、1398-1411年に建てられたスルタン・バルクーク・モスクなどが有名です。
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イシュケル国立公園
イシュケル国立公園はアフリカ北部のチュニジアにあります。
チュニジアといえば地中海に面した歴史のある国です。
紀元前814年にはカルタゴと名乗り、沿岸の国々を支配していました。
さて、イシュケル国立公園ですが、イシュケウル山を中心にイシュケウル湖や湿地帯から成り立っています。
湿地帯には水牛の姿も見られ、イシュケウル湖や湿地帯にはにはあひる、ガチョウ、コウノトリ、フラミンゴなど毎年何十万もの渡り鳥が訪れます。
この公園には農家の住宅もあり、山羊が放し飼いされています。
世界遺産と危機遺産に登録された理由ですが、まず世界遺産に登録された理由は、広大な湿地と湖に飛来する水鳥と植物にあります。
さらに危機遺産になったのは、もともと湿地帯と湖は淡水でしたが、湖の水源である川へのダムの構築は、湖と湿地の生態的均衡に大変化をもたらし、ダムが湖と沼への真水の流入を急激に減少させたので、ヨシ、スゲ、その他の真水植物類は好塩性の植物に置き換わってしまいました。
こうした変化は、かつて存在した植物群に依存していた渡り鳥の個体数の急激な減少をもたらしたのです。
イシュケル国立公園に行くには、直通バスなどはないので、途中まで路線バスを乗り、タクシーを利用するしかないようです。
イシュケル国立公園 Ichkeul National Park 所在国:チュニジア 世界遺産登録:1980年 種類:自然遺産、危機遺産 |
イシュケル国立公園はアフリカ北部のチュニジアにあります。
チュニジアといえば地中海に面した歴史のある国です。
紀元前814年にはカルタゴと名乗り、沿岸の国々を支配していました。
さて、イシュケル国立公園ですが、イシュケウル山を中心にイシュケウル湖や湿地帯から成り立っています。
湿地帯には水牛の姿も見られ、イシュケウル湖や湿地帯にはにはあひる、ガチョウ、コウノトリ、フラミンゴなど毎年何十万もの渡り鳥が訪れます。
この公園には農家の住宅もあり、山羊が放し飼いされています。
世界遺産と危機遺産に登録された理由ですが、まず世界遺産に登録された理由は、広大な湿地と湖に飛来する水鳥と植物にあります。
さらに危機遺産になったのは、もともと湿地帯と湖は淡水でしたが、湖の水源である川へのダムの構築は、湖と湿地の生態的均衡に大変化をもたらし、ダムが湖と沼への真水の流入を急激に減少させたので、ヨシ、スゲ、その他の真水植物類は好塩性の植物に置き換わってしまいました。
こうした変化は、かつて存在した植物群に依存していた渡り鳥の個体数の急激な減少をもたらしたのです。
イシュケル国立公園に行くには、直通バスなどはないので、途中まで路線バスを乗り、タクシーを利用するしかないようです。