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クニヤ‐ウルゲンチ
クニヤ‐ウルゲンチとは、日本語で表すと「旧ウルゲンチ」という意味ですが、現地ではクフナ・ウルゲンチと呼ばれ、ホラズム・シャー朝期からティムール朝期の遺跡が残されている世界遺産です。
クニヤあるいはクフナというのは、「旧」「古い」といった意味で、ウルグンチは、中央アジア、ホラズム地方の歴史的都市のことです。
ウルゲンチには、もともとはペルシア系の住民が多く住んでいましたが、カザフ草原に住むテュルク系遊牧民たちの交易拠点となり、「草原の港」として経済的に発展していきました。
その後、さらなる繁栄と衰退を経験し、砂漠の中の廃墟と化したウルゲンチ、現在トルクメニスタン領に組み込まれています。
クニヤ‐ウルゲンチの中の主な遺跡は次のとおり。
【テキシュ廟】
12世紀のホラズム・シャー、テキシュの墓廟。
ホラズム・シャー朝期の代表的な遺跡で、青いタイルで飾られた三角錐の帽子型の屋根が特徴的です。
【クトルグ・ティムールのミナレット】
14世紀にジョチ・ウルスのホラズム総督クトルグ・ティムールによって建設されたミナレット。
テキシュ廟の北西そばに位置し、中央アジア最長の67mの高さを誇っています。
【テュラベク・ハヌム廟 】
クトルグ・ティムールの夫人テュラベク・ハヌムの墓廟。
旧ウルゲンチで最大の建造物。
このほか、キャラバンサライやスーフィズムの聖者の墓廟が数多くあり、トルクメニスタンの主要な観光地となっています。
クニヤ‐ウルゲンチ Kunya-Urgench 所在国:トルクメニスタン 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
クニヤ‐ウルゲンチとは、日本語で表すと「旧ウルゲンチ」という意味ですが、現地ではクフナ・ウルゲンチと呼ばれ、ホラズム・シャー朝期からティムール朝期の遺跡が残されている世界遺産です。
クニヤあるいはクフナというのは、「旧」「古い」といった意味で、ウルグンチは、中央アジア、ホラズム地方の歴史的都市のことです。
ウルゲンチには、もともとはペルシア系の住民が多く住んでいましたが、カザフ草原に住むテュルク系遊牧民たちの交易拠点となり、「草原の港」として経済的に発展していきました。
その後、さらなる繁栄と衰退を経験し、砂漠の中の廃墟と化したウルゲンチ、現在トルクメニスタン領に組み込まれています。
クニヤ‐ウルゲンチの中の主な遺跡は次のとおり。
【テキシュ廟】
12世紀のホラズム・シャー、テキシュの墓廟。
ホラズム・シャー朝期の代表的な遺跡で、青いタイルで飾られた三角錐の帽子型の屋根が特徴的です。
【クトルグ・ティムールのミナレット】
14世紀にジョチ・ウルスのホラズム総督クトルグ・ティムールによって建設されたミナレット。
テキシュ廟の北西そばに位置し、中央アジア最長の67mの高さを誇っています。
【テュラベク・ハヌム廟 】
クトルグ・ティムールの夫人テュラベク・ハヌムの墓廟。
旧ウルゲンチで最大の建造物。
このほか、キャラバンサライやスーフィズムの聖者の墓廟が数多くあり、トルクメニスタンの主要な観光地となっています。
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カトマンズの谷
カトマンズの谷とは、標高1350メートルに位置するヒマラヤ山脈の麓にある盆地です。
500平方キロメートルの温暖な気候の地に、13世紀から18世紀にかけてマッラ王朝のカトマンズ、バクタプル、パタンの3王国が栄え、ヒンズー教と仏教が融合した独自の文化が育て上げられました。
この歴史遺産は、非常に貴重で高く評価されており、盆地全体が世界文化遺産に登録されています。
その中のひとつであるカトマンズのダルバール広場や、その周辺にある生き神が住むといわれるクマリの館やシヴァ寺院など各時代の寺院20棟あまりが高度な建築技術を競い合っています。
旧王宮や庶民のバザールである、ハヌマン・ドカと呼ばれるところは、いつもにぎわいを見せています。
多様な民族文化や宗教文化が息づき、中世マッラ王朝以来の町並みが残るカトマンズの谷。
現在のネパールは国民の9割近くがヒンズー教徒にあたりますが、古来チベットとインドを結ぶヒマラヤ越えの中継地であったこのカトマンズの谷にはチベット仏教の寺院も数多く残されています。
その中で最古の歴史を誇るのが、チベットからインドへ向かおうとした文殊菩薩が創建したといわれているスワヤンブナートです。
その境内では、1日中全身を大地に投げ出し来世の生まれ変わりを願うという「五体倒地」を行う信者の姿がよく見られます。
カトマンズの谷の主な宮殿・寺院・史跡は、次のとおり。
ダルバール広場 ・シヴァ寺院 ・クマリの館 ・パタン ・クリシュナ寺院 ・パタン博物館 ・スワヤンブナート・パシュパティナート ・ボダナート 。
カトマンズの谷 Kathmandu Valley 所在国:ネパール 世界遺産登録:1979年、2006年 種類:文化遺産/危機遺産 |
カトマンズの谷とは、標高1350メートルに位置するヒマラヤ山脈の麓にある盆地です。
500平方キロメートルの温暖な気候の地に、13世紀から18世紀にかけてマッラ王朝のカトマンズ、バクタプル、パタンの3王国が栄え、ヒンズー教と仏教が融合した独自の文化が育て上げられました。
この歴史遺産は、非常に貴重で高く評価されており、盆地全体が世界文化遺産に登録されています。
その中のひとつであるカトマンズのダルバール広場や、その周辺にある生き神が住むといわれるクマリの館やシヴァ寺院など各時代の寺院20棟あまりが高度な建築技術を競い合っています。
旧王宮や庶民のバザールである、ハヌマン・ドカと呼ばれるところは、いつもにぎわいを見せています。
多様な民族文化や宗教文化が息づき、中世マッラ王朝以来の町並みが残るカトマンズの谷。
現在のネパールは国民の9割近くがヒンズー教徒にあたりますが、古来チベットとインドを結ぶヒマラヤ越えの中継地であったこのカトマンズの谷にはチベット仏教の寺院も数多く残されています。
その中で最古の歴史を誇るのが、チベットからインドへ向かおうとした文殊菩薩が創建したといわれているスワヤンブナートです。
その境内では、1日中全身を大地に投げ出し来世の生まれ変わりを願うという「五体倒地」を行う信者の姿がよく見られます。
カトマンズの谷の主な宮殿・寺院・史跡は、次のとおり。
ダルバール広場 ・シヴァ寺院 ・クマリの館 ・パタン ・クリシュナ寺院 ・パタン博物館 ・スワヤンブナート・パシュパティナート ・ボダナート 。
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エローラ石窟群
エローラ石窟群とは、エローラ石窟寺院群とも呼ばれている世界的に有名な石窟群で、ムンバイーの東にあるアウランガーバード郊外に位置します。
エローラは、インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバードから30Kmほど離れたところにある村です。
エローラ石窟寺院郡は、アンコール・ワットやピラミッドと並び、世界遺産の中でも最も印象的な遺跡の一つであるとされています。
シャラナドリ台地の垂直な崖に、34の石窟が掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院さらには僧院、僧坊などから構成されています。
仏教寺院の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたります。
ヒンドゥー教寺院は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院となっています。
それぞれの石窟は、非常に近接している上に作られた時期も重なっているためにこれらの事実から考えて、インドにおける宗教はとても寛容であることを表している、といえるでしょう。
エローラ石窟群 Ellora Caves 所在国:インド 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
エローラ石窟群とは、エローラ石窟寺院群とも呼ばれている世界的に有名な石窟群で、ムンバイーの東にあるアウランガーバード郊外に位置します。
エローラは、インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバードから30Kmほど離れたところにある村です。
エローラ石窟寺院郡は、アンコール・ワットやピラミッドと並び、世界遺産の中でも最も印象的な遺跡の一つであるとされています。
シャラナドリ台地の垂直な崖に、34の石窟が掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院さらには僧院、僧坊などから構成されています。
仏教寺院の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたります。
ヒンドゥー教寺院は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院となっています。
それぞれの石窟は、非常に近接している上に作られた時期も重なっているためにこれらの事実から考えて、インドにおける宗教はとても寛容であることを表している、といえるでしょう。