このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
古都平遥(ピンイャウ)
平遥古城は中国山西省平遥市の古い町で、省都・太原市から南西へ60キロあたりに位置しています。
交通の要衝にあった平遥は古くから遠隔地交易で栄え、明の時代には、「山西商人」と呼ばれる商人たちが活躍した経済都市でした。
かつて中国の都市は、近世に至るまで、どこも城壁で囲まれていましたが、戦乱や都市開発によってそのまま残っていることは少なく、その多くは姿を消しています。
西安や興城などに城壁都市の面影が残っていますが、平遥古城は、明の時代からの城郭都市がそのままの形で残っている貴重な町なのです。
全長6.4Km、高さ8〜12m、壁の上部の幅は3〜5m、城壁の外側には幅・深さ共に4mの壕があり、完璧な形で現存しています。
また、東西南北に6つの城門があり、西門から東門のルートがメインストリートになっていて、市街は南天街と北天街とに分けられています。
古都平遥(ピンイャウ) Ancient City of Ping Yao 所在国:中華人民共和国 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
平遥古城は中国山西省平遥市の古い町で、省都・太原市から南西へ60キロあたりに位置しています。
交通の要衝にあった平遥は古くから遠隔地交易で栄え、明の時代には、「山西商人」と呼ばれる商人たちが活躍した経済都市でした。
かつて中国の都市は、近世に至るまで、どこも城壁で囲まれていましたが、戦乱や都市開発によってそのまま残っていることは少なく、その多くは姿を消しています。
西安や興城などに城壁都市の面影が残っていますが、平遥古城は、明の時代からの城郭都市がそのままの形で残っている貴重な町なのです。
全長6.4Km、高さ8〜12m、壁の上部の幅は3〜5m、城壁の外側には幅・深さ共に4mの壕があり、完璧な形で現存しています。
また、東西南北に6つの城門があり、西門から東門のルートがメインストリートになっていて、市街は南天街と北天街とに分けられています。
PR
スポンサードリンク
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園は、インド北部、ウッタル・プラデシュ州、中国およびネパールの国境付近にあり、首都ニューデリーの北東約330Kmに位置しています。
標高7816mの、ヒマラヤ山脈の一角を担う高峰ナンダ・デヴィは、「祝福された女神」という意味があるらしく、女神ナンダが住む聖地として守られてきました。
絶滅の危機に瀕する大型ネコの仲間であるユキヒョウの最後の生息地でもあり、他にもヒマラヤジャコウジカなどの珍しい動物もも生息しています。
20世紀初めに、本格的な登山が始まりましたが、大量のゴミが発生したために、1978年以降、環境保護のために立ち入りが禁止されていて、今では人跡未踏の地と言えそうです。
だから、ナンダ・デヴィ峰を遠巻きに眺めるだけですが、燦然と輝く氷河や、まばゆいばかりの白い雪原は壮大なパノラマ景観です。
1988年に世界遺産登録されて、その後2005年に拡張登録されています。
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園 Nanda Devi National Park 所在国:インド共和国 世界遺産登録:1988、2005年 種類:自然遺産 |
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園は、インド北部、ウッタル・プラデシュ州、中国およびネパールの国境付近にあり、首都ニューデリーの北東約330Kmに位置しています。
標高7816mの、ヒマラヤ山脈の一角を担う高峰ナンダ・デヴィは、「祝福された女神」という意味があるらしく、女神ナンダが住む聖地として守られてきました。
絶滅の危機に瀕する大型ネコの仲間であるユキヒョウの最後の生息地でもあり、他にもヒマラヤジャコウジカなどの珍しい動物もも生息しています。
20世紀初めに、本格的な登山が始まりましたが、大量のゴミが発生したために、1978年以降、環境保護のために立ち入りが禁止されていて、今では人跡未踏の地と言えそうです。
だから、ナンダ・デヴィ峰を遠巻きに眺めるだけですが、燦然と輝く氷河や、まばゆいばかりの白い雪原は壮大なパノラマ景観です。
1988年に世界遺産登録されて、その後2005年に拡張登録されています。
スポンサードリンク
麗江(リジャン)旧市街
麗江(リジャン)旧市街は、中華人民共和国雲南省北西部の横断山脈南方、長江上流金沙江の屈曲部付近の谷に位置していて、街の周りを丘に囲まれている麗江市の旧市街地です。
麗江旧市街は、標高2400メートルに位置していて、宋代の末期の1126年に、少数民族のナシ族によって建設された町です。
面積は7,648平方キロ、人口は約111万人で、旧市街「麗江古城」は少数民族のナシ族の王都で、今でもナシ族の人々が多く住んでいます。
旧市街の建築物はほとんどが木造で、瓦葺の屋根が一千以上軒を連ねていて、石畳の道が縦横に走り、水路が網の目のように張り巡らされています。
麗江は、雲南の茶とチベットの馬を取引する交易ルート「茶馬古道」の要衝にあって、幾多もの勢力に挟まれた地にありながら、さしたる戦乱にも遭わず800年もの間、栄え続けてきた街です。
麗江(リジャン)旧市街 Old Town of Lijiang 所在国:中華人民共和国 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
麗江(リジャン)旧市街は、中華人民共和国雲南省北西部の横断山脈南方、長江上流金沙江の屈曲部付近の谷に位置していて、街の周りを丘に囲まれている麗江市の旧市街地です。
麗江旧市街は、標高2400メートルに位置していて、宋代の末期の1126年に、少数民族のナシ族によって建設された町です。
面積は7,648平方キロ、人口は約111万人で、旧市街「麗江古城」は少数民族のナシ族の王都で、今でもナシ族の人々が多く住んでいます。
旧市街の建築物はほとんどが木造で、瓦葺の屋根が一千以上軒を連ねていて、石畳の道が縦横に走り、水路が網の目のように張り巡らされています。
麗江は、雲南の茶とチベットの馬を取引する交易ルート「茶馬古道」の要衝にあって、幾多もの勢力に挟まれた地にありながら、さしたる戦乱にも遭わず800年もの間、栄え続けてきた街です。