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カイルアン
カイルアンは、北アフリカのチュニジアのほぼ中央部に位置する文化遺産です。
西暦670年に創設され9世紀ころにアグラブ(Aghlabid)王朝の下で最も繁栄し、イスラム教の4大聖地の一つとされている都市です。
カイルアンは、イスラム世界の代表的な迷宮都市となっており、中に入ると王朝時代のイスラム世界を彷彿とさせる雰囲気を漂わせています。
カイルアンには、大理石や斑岩のコラムで建築されたモスクが多く、7世紀に建設れた古い街と装飾が美しい霊廟とが良くマッチしています。
なかでも多くの柱が並ぶアフリカ最古のグランド・モスクは640年に建てられ、今も多くの巡礼者が訪れています。
また、シッディ・サハブ霊廟は、マグレブで最も美しいといわれる霊廟で、壁面にはみごとなアラベスク文様が描かれていることでよく知られています。
また、アグラブ朝時代に建設された貯水池は、過装置など高度な技術も使われ、当時の科学水準の高さを表しています。
カイルアン Kairouan 所在国:チュニジア共和国 世界遺産登録:1988年 種類:文化遺産 |
カイルアンは、北アフリカのチュニジアのほぼ中央部に位置する文化遺産です。
西暦670年に創設され9世紀ころにアグラブ(Aghlabid)王朝の下で最も繁栄し、イスラム教の4大聖地の一つとされている都市です。
カイルアンは、イスラム世界の代表的な迷宮都市となっており、中に入ると王朝時代のイスラム世界を彷彿とさせる雰囲気を漂わせています。
カイルアンには、大理石や斑岩のコラムで建築されたモスクが多く、7世紀に建設れた古い街と装飾が美しい霊廟とが良くマッチしています。
なかでも多くの柱が並ぶアフリカ最古のグランド・モスクは640年に建てられ、今も多くの巡礼者が訪れています。
また、シッディ・サハブ霊廟は、マグレブで最も美しいといわれる霊廟で、壁面にはみごとなアラベスク文様が描かれていることでよく知られています。
また、アグラブ朝時代に建設された貯水池は、過装置など高度な技術も使われ、当時の科学水準の高さを表しています。
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オモ川下流域
オモ川下流域はエチオピアの南西部、ケニアとの国境近くにある文化遺産で、数百万年単位に及ぶ多くの種類の化石人骨が出土し、人間の進化の調査の貴重な資料となっています。
1930年代のフランスの発掘調査隊によると、オモ川下流域の岩石層に含まれる化石には、アウストラロピテクス・エチオピクス、アウストラロピテクス・アファレンシス、ホモ・ハビリス、ホモ・サピエンスなど、今の人類の祖先とされるものや、枝分かれして絶滅した猿人や原人の化石など、様々な化石人骨が発見されており、古人類学の研究にとって非常に重要な遺産となっています。
またオモ川下流域から発見された最古の打製石器は、約250万年前のホモ・ハビリスが使用したものともいわれ、先史時代の貴重な資料となっています。
また、オモ川下流の公園には、キリン、シマウマ、ガゼル、ライオン、水牛、象、など様々な種類の動物が生息する自然豊かな地域です。
オモ川下流域 Lower Valley of the Omo 所在国:エチオピア連邦民主共和国 世界遺産登録:1980年 種類:文化遺産 |
オモ川下流域はエチオピアの南西部、ケニアとの国境近くにある文化遺産で、数百万年単位に及ぶ多くの種類の化石人骨が出土し、人間の進化の調査の貴重な資料となっています。
1930年代のフランスの発掘調査隊によると、オモ川下流域の岩石層に含まれる化石には、アウストラロピテクス・エチオピクス、アウストラロピテクス・アファレンシス、ホモ・ハビリス、ホモ・サピエンスなど、今の人類の祖先とされるものや、枝分かれして絶滅した猿人や原人の化石など、様々な化石人骨が発見されており、古人類学の研究にとって非常に重要な遺産となっています。
またオモ川下流域から発見された最古の打製石器は、約250万年前のホモ・ハビリスが使用したものともいわれ、先史時代の貴重な資料となっています。
また、オモ川下流の公園には、キリン、シマウマ、ガゼル、ライオン、水牛、象、など様々な種類の動物が生息する自然豊かな地域です。
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エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)
エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)は、モロッコ王国のマラケシュの西に位置する旧市街メディナで、旧名モガドールと言います。
メディナは、大西洋に面していて一年中温暖な気候の港湾都市となっています。
現在の街は、城壁に囲われた旧市街(メディナ)と新市街にはっきり分けられ、きれいに区画整理された美しい町並みをしています。
エッサウィラは、18世紀後半の軍事目的で作られた、北アフリカでは珍しい近代的な町となっています。
また国際交易の港として、モロッコとヨーロッパ各地の国々を結ぶ役割を果たしていました。
その当時は、エッサウィラと言う名前で呼ばれる町でしたが、国の中心がカサブランカに移ったとき、モガドールと言う呼び名に変わりました。
しかし、モロッコが独立した後再びエッサウィラに戻りました。
エッサウィラは、フランス人の建築家によって、軍事的な機能を備えた近代的な港湾都市となりました。
そして当時のヨーロッパの影響が交じり合った、北アフリカで最も美しい町の一つとなりました。
エッサウィラのメディナ(旧名モガドール) Medina of Essaouira (formerly Mogador) 所在国:モロッコ王国 世界遺産登録:2001年 種類:文化遺産 |
エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)は、モロッコ王国のマラケシュの西に位置する旧市街メディナで、旧名モガドールと言います。
メディナは、大西洋に面していて一年中温暖な気候の港湾都市となっています。
現在の街は、城壁に囲われた旧市街(メディナ)と新市街にはっきり分けられ、きれいに区画整理された美しい町並みをしています。
エッサウィラは、18世紀後半の軍事目的で作られた、北アフリカでは珍しい近代的な町となっています。
また国際交易の港として、モロッコとヨーロッパ各地の国々を結ぶ役割を果たしていました。
その当時は、エッサウィラと言う名前で呼ばれる町でしたが、国の中心がカサブランカに移ったとき、モガドールと言う呼び名に変わりました。
しかし、モロッコが独立した後再びエッサウィラに戻りました。
エッサウィラは、フランス人の建築家によって、軍事的な機能を備えた近代的な港湾都市となりました。
そして当時のヨーロッパの影響が交じり合った、北アフリカで最も美しい町の一つとなりました。