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タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェールとは、北アフリカにあるサハラ砂漠の最奥に広がる乾燥した岩山の山地地帯、タッシリ・ナジェール山脈のことです。
「水流の多い地域」を意味しており、直訳すれば「水流の多いナジェール地域」ということになるようです。
タッシリ・ナジェールは、現アルジェリア民主人民共和国領南東部に位置し、域内東寄り中部で概ね東西に広がっています。
東端は社会主義人民リビア=アラブ国の西国境近くまでに至り、リビアのフェザーン地方との間が大きめのワディ(涸谷)で隔てられています。
タッシリ・ナジェール山脈には、平均標高が1000メートル、10,000年前に遡る原始壁画や刻画が点在しています。
それは、世にも不思議な光景で、その数はおよそ2万点にのぼります。
新石器時代から紀元前後頃まで、数千年間に渡って描かれたものと言われています。
奇岩そびえる砂漠の地形と、先史時代の人類のもっとも重要な痕跡としての岩絵とが、周囲の自然環境と併せて1982年以降、ユネスコ世界遺産の複合遺産に登録されています。
当時、サハラが湿潤であったことを証明する数々の壁画には象やキリン、ライオンやバッファローなどの様々な野生動物が描かれています。
紀元前2000年頃からサハラの乾燥化が始まると、壁画の主題も乾燥に強いラクダへと変わってきます。
ただし、サハラ砂漠のタッシリ・ナジェールに、水流が豊かだった時代があったかどうかは想像の域を出ません。
タッシリ・ナジェール Tassili n'Ajjer 所在国:アルジェリア 世界遺産登録:1982年 種類:複合遺産 |
タッシリ・ナジェールとは、北アフリカにあるサハラ砂漠の最奥に広がる乾燥した岩山の山地地帯、タッシリ・ナジェール山脈のことです。
「水流の多い地域」を意味しており、直訳すれば「水流の多いナジェール地域」ということになるようです。
タッシリ・ナジェールは、現アルジェリア民主人民共和国領南東部に位置し、域内東寄り中部で概ね東西に広がっています。
東端は社会主義人民リビア=アラブ国の西国境近くまでに至り、リビアのフェザーン地方との間が大きめのワディ(涸谷)で隔てられています。
タッシリ・ナジェール山脈には、平均標高が1000メートル、10,000年前に遡る原始壁画や刻画が点在しています。
それは、世にも不思議な光景で、その数はおよそ2万点にのぼります。
新石器時代から紀元前後頃まで、数千年間に渡って描かれたものと言われています。
奇岩そびえる砂漠の地形と、先史時代の人類のもっとも重要な痕跡としての岩絵とが、周囲の自然環境と併せて1982年以降、ユネスコ世界遺産の複合遺産に登録されています。
当時、サハラが湿潤であったことを証明する数々の壁画には象やキリン、ライオンやバッファローなどの様々な野生動物が描かれています。
紀元前2000年頃からサハラの乾燥化が始まると、壁画の主題も乾燥に強いラクダへと変わってきます。
ただし、サハラ砂漠のタッシリ・ナジェールに、水流が豊かだった時代があったかどうかは想像の域を出ません。
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スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライの人類化石遺跡群及び周辺地域
スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライの人類化石遺跡群及び周辺地域とは、南アフリカの北部(ヨハネスブルクから約60km)にあるユネスコの世界遺産登録物件です。
アウストラロピテクスやパラントロプス・ロブストスなど多数の人類化石が発見されているため、通称「人類のゆりかご」「人類発祥の地」などと呼ばれています。
クロムドライは鍾乳洞としても有名で、これらは1999年に世界文化遺産に登録されました。
また、2005年には、マカパン渓谷、タウン頭骨 化石遺跡が文化遺産に追加されました。
スタークフォンテンの洞窟は、金鉱山の探索者により1896年に発見されました。
1924年11月に洞窟を調査したレイモンド・ダートは、小さい頭蓋骨を発見します。
これはアウストラロピテクス・アフリカヌスと名前が付けられることになりました。
ダートは、アウストラロピテクスは直立二足歩行を行った人類の直接の先祖であるという論文を、1925年に『ネイチャー』に発表しましたが、当時は受け入れられることはありませんでした。
その後、ダート説を支持したロバート・ブルームにより、スタークフォンテン周囲での発掘は続けられ、1936年、1938年にブルームはアウストラロピテクスの化石を発見、1947年には、ついにほぼ完全なアウストラロピテクス・アフリカヌスのメスの頭蓋骨を発見しました。
スワートクランズは、スタークフォンテンから1km程離れた場所にあります。
ここで1930年代から40年代にかけて、ロバート・ブルームによる発掘作業が行われました。
この遺跡からは、100万年から200万年前に暮らしていたと考えられている、アウストラロピテクスの亜種、パラントロプス・ロブストスが発見されています。
クロムドライの周辺でも、アウストラロピテクスの化石が発見されています。
スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライの人類化石遺跡群及び周辺地域 Fossil Hominid Sites of Sterkfontein, Swartkrans, Kromdraai, and Environs 所在国:南アフリカ共和国 世界遺産登録:1999年、2005年 種類:文化遺産 |
スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライの人類化石遺跡群及び周辺地域とは、南アフリカの北部(ヨハネスブルクから約60km)にあるユネスコの世界遺産登録物件です。
アウストラロピテクスやパラントロプス・ロブストスなど多数の人類化石が発見されているため、通称「人類のゆりかご」「人類発祥の地」などと呼ばれています。
クロムドライは鍾乳洞としても有名で、これらは1999年に世界文化遺産に登録されました。
また、2005年には、マカパン渓谷、タウン頭骨 化石遺跡が文化遺産に追加されました。
スタークフォンテンの洞窟は、金鉱山の探索者により1896年に発見されました。
1924年11月に洞窟を調査したレイモンド・ダートは、小さい頭蓋骨を発見します。
これはアウストラロピテクス・アフリカヌスと名前が付けられることになりました。
ダートは、アウストラロピテクスは直立二足歩行を行った人類の直接の先祖であるという論文を、1925年に『ネイチャー』に発表しましたが、当時は受け入れられることはありませんでした。
その後、ダート説を支持したロバート・ブルームにより、スタークフォンテン周囲での発掘は続けられ、1936年、1938年にブルームはアウストラロピテクスの化石を発見、1947年には、ついにほぼ完全なアウストラロピテクス・アフリカヌスのメスの頭蓋骨を発見しました。
スワートクランズは、スタークフォンテンから1km程離れた場所にあります。
ここで1930年代から40年代にかけて、ロバート・ブルームによる発掘作業が行われました。
この遺跡からは、100万年から200万年前に暮らしていたと考えられている、アウストラロピテクスの亜種、パラントロプス・ロブストスが発見されています。
クロムドライの周辺でも、アウストラロピテクスの化石が発見されています。
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サブラータの古代遺跡
サブラータの古代遺跡とは、現在のリビアの北西端ザウィア市に位置する、トリポリから西へ約70km行ったところにある地中海沿岸に存在した都市で、北アフリカ最大規模と言われる円形劇場をメインとする古代ローマの都市遺跡のことです。
紀元前5世紀ころ、交易の拠点の一つとなった港町で、フェニキア人により築かれました。
ユネスコの世界文化遺産に、1982年に登録されました。
ローマ帝国の植民都市となり繁栄したのですが、5世紀以降にゲルマン、続いてイスラム・アラブの侵入によって7世紀には壊滅してしまいました。
完全に無人化したこの古代都市、サブラータの古代遺跡は、砂に埋もれ忘れ去られてしまいましたが、1937年から発掘作業が始められ、1000年以上の長い時を経てお目見えし、現在に至ります。
観光客に人気が高いのは、今もコンサート等に使用されている円形劇場、それと地中海を見渡す露天風呂スタイルのローマ浴場、コリント式の円柱が残るイシス神殿です。
サブラータの古代遺跡 Archaeological Site of Sabratha 所在国:リビア 世界遺産登録:1982年 種類:文化遺産 |
サブラータの古代遺跡とは、現在のリビアの北西端ザウィア市に位置する、トリポリから西へ約70km行ったところにある地中海沿岸に存在した都市で、北アフリカ最大規模と言われる円形劇場をメインとする古代ローマの都市遺跡のことです。
紀元前5世紀ころ、交易の拠点の一つとなった港町で、フェニキア人により築かれました。
ユネスコの世界文化遺産に、1982年に登録されました。
ローマ帝国の植民都市となり繁栄したのですが、5世紀以降にゲルマン、続いてイスラム・アラブの侵入によって7世紀には壊滅してしまいました。
完全に無人化したこの古代都市、サブラータの古代遺跡は、砂に埋もれ忘れ去られてしまいましたが、1937年から発掘作業が始められ、1000年以上の長い時を経てお目見えし、現在に至ります。
観光客に人気が高いのは、今もコンサート等に使用されている円形劇場、それと地中海を見渡す露天風呂スタイルのローマ浴場、コリント式の円柱が残るイシス神殿です。